2010年12月1日水曜日

総動員は核を駆逐しうるか?

2010年11月30日〜12月1日にかけての夜にゆえましさん(@yuemashi on Twitter)とのTwitter上での意見交換について、考えをまとめてみます。
ゆえましさんの意見は、
  • 総動員体制・計画の保有は核の攻撃的プレゼンスに対して守備的プレゼンスを国家に提供しうる。
  • 侵攻国に対して総動員で集められた、国民軍(筆者が便宜上、名づけた)により出血・国力の消耗を強いることで、徹底抗戦のアピールができる。
  • 総動員国家(総動員体制・計画を保有する国、筆者の便宜的定義による)に対して核を使用することはそのアンバランスさから、国際社会の非難を浴びるため、核保有国は総動員国家に対して、 核を使用しえない。
  • それゆえ、核を駆逐する可能性がある。

とのことだったと思います。(少なくとも私はここを重視しました。間違ってたらすみません、予めお詫びしておきます>ゆえましさん)

[12/03 追記]
拙文をご覧になったゆえましさんがご自身のお考えをまとめてくださいました。
「現代における国家総動員と「制度核」の可能性 - ゆえましホーム」
http://yuemashi.web.fc2.com/blogs/others/protocol_Nuclear.html
[追記ここまで]


そこで、言葉通りの核兵器を「実際核」、核兵器に相当するような効果を持つものとして、総動員体制・計画を「制度核」と呼称されました。
ここからは私の意見ですが、「制度核」という考えは非常に面白い考えだと思います。しかし、「制度核」に「総動員」が適切かどうかについては疑問を感じざるを得ません。
(基本的に、私は「総動員」に対し、WWIのイメージから、悪い印象しか持ってないというのはご承知いただきたいです。)

  • 徴募兵が現代の複雑化・高度化した戦闘に耐えうるか?
Wikipediaに書いてあるので、参照願えればと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/徴兵制度#.E5.BE.B4.E5.85.B5.E5.88.B6.E5.BA.A6.E3.81.AE.E7.8F.BE.E7.8A.B6

  • 「出血量」と「耐えられうる出血量」の問題
この問題は、WWIのヴェルダン攻防戦が良い例と考えられます。ヴェルダン攻防戦を計画・実施したドイツ軍の参謀総長・ファルケンハインは塹壕戦を国家単位の攻城戦と考え、西部戦線の陸上での最大の敵・フランス陸軍の大出血を狙って、この作戦を立案しました。ファルケンハインは1:3〜5のキルレシオを平気で想定したという話もありますが、基本的には、制度核で想定されている戦略の攻防を入れ替えると、基本は同じように思います。
ヴェルダン戦だけを考慮する訳にはいきませんが、フランス軍は一応、防衛に成功したものの、損害はドイツ軍より2万ほど多く、その後、多くの師団で反乱・反抗が起きるなど、 まさに「失血死」寸前に至ります。
話は短絡的になりますが、同等の兵器をもって戦った場合、攻守ともに同等の損害=出血が生じる上、耐えられる出血量にも差があるわけです。徴兵人口がドイツに比べて圧倒的に少ないフランスにとって、双方に同等の出血が生じた場合、フランスの国力消耗が割合としては激しいことは明白です。

  • 国力の消耗とは? 
人的資源に豊富で、兵器は他国からの援助を得られる国が総動員国家の敵だった場合はどうなるのでしょうか?私がここで想定してるのは、ベトナム戦争の北ベトナムなのですが、兵器から自前で整えなければならない国家とこのような国家が総動員対決になった場合、後者の国家の方が圧倒的に有利なのではないかと考えます。
(いろいろ書こうと考えていたのですが、今は思い出せませんw)

  • 国内関係・国際関係の不確定性
総動員に際して国内がうまく回るかという問題が生じます。総動員は緻密な計画のもとに、WWIほどとは言わずとも、ある程度の硬直性が存在してしまうのは間違いないはずです。数百万人を一気に移動させるわけですから。すると、少しでも国内で政府が混乱したり、敵の先制攻撃で交通路が遮断あるいは、中央でなくとも地方司令部に被害が出ると動員が遅延もしくは停止してしまう可能性があります。
国際関係に目を向けると、「制度核」が効果的に機能するための1つが、国際社会の核使用国に対する非難と袋叩きがあるだろうという想定だと思います。
しかし、この想定は正しいのでしょうか?私はちょっと、思いつかないので、説得力にかけますが、何かしらのアピール・方策を以てすれば、国際世論の中立化は可能ではないか考えます。国際世論を自らの側に如何に総動員国家が近づけるかという問題ですから、これも国内関係の不確定性に含まれうるものです。
また、日本の場合、総動員の実施に際して海洋国家ゆえの「余裕」がありますが、敵国がブラフをかけて、それに総動員で応ぜねばならない状況が生じた場合、総動員した日本が自滅的に国力を消耗する可能性があるとの私の指摘に対し、ブラフをかけた国家の側が国際的に非難を浴びるとの意見がゆえましさんから得られましたが、やはりこれもやりようでは、「どちらも悪い」という国際世論をブラフをかけた国家が引き出しうるのではないかと思うのです。

  • 海洋国家の場合
アドホックな異論ですが、海洋国家、ここでは日本の場合としますが、その安全保障にとって最重要なのは制海権で、陸海空で安全保障の上で優先順位を定めれば、空>海>陸であることは当然のこととして考えていいように思います。
この前提に立って考えるのであれば、最も力を入れるべきは空軍力(昔で言うところの基地航空隊)であり、ついで、海軍力となりましょう。
しかし、空海軍は常に動員体制なのであって(http://ww1.m78.com/topix/%82%8D%82%8F%82%82%82%89%82%8C%82%89%82%9A%82%81%82%94%82%89%82%8F%82%8E.html (サイト『第1次世界大戦』中「総動員」)下のほう参照)、総動員をかけても兵力量を増やすことがほとんどできないと思います。要するに、総動員で国力を一時的にせよ低下させる可能性を選択するよりかは、平時に巨大な空海軍力を整備する方が、私には、合理的に思えるのです。

以上より、私は「制度核」という概念は非常に面白く、可能性も感じていますが、その「制度核」に「総動員」を据えるのはいささか不合理で時代錯誤的に感じざるを得ません。並存は(フランスのように)あり得ても、「制度核=総動員」が核を駆逐しうるとも思いません。かと言って、オルタナティヴがあるわけではありませんが。

話はそれますが、M.V.クレフェルト氏は『補給戦』のあとがきで、石津氏が記すところによると、「核保有国は最大級の通常戦力の保有国だから、これからは非対称戦争しか起こり得ない」と主張しているとのことです。(記憶が若干曖昧ですが。)



乱文ですが、以上です。基本的に素人の考えた戯言です。反論はお手柔らかにお願いいたします。

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