@mearythindong さんとウェーバーのプロ倫じゃなくて、プロ資じゃなくて、
Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismusで述べられているカルヴァン派の予定運命説ががむしゃらに頑張るしかないというのはどういうことかという話になってたんだけど、お風呂でちょっと考えてたら、これって、ゲーム理論じゃねとか思ったんで、
Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismusもゲーム理論もかじった程度だけど、書いてみたいと思います。
プレイヤーとしてG(od)とH(uman)があるとして、
Gは
- a:Hを救済すると運命付ける
- b:Hを救済しないと運命付ける
の2つが選べる。
Hは
の2つが選べるとする。
この時、2x2=4(通り)のパターンが存在する。
その上で以下のようにゲームのルールを設定する
- GとHの状態で以下のように点数が設定される(表にすりゃいいんだろうけど、めんどい。)
- G(a)かつH1のとき、Hは救済される方向に進む→+1
- G(a)かつH2のとき、Hは自ら救済の道を絶ったので救済される方向からそれる→-1
- G(b)かつH1のとき、Hが頑張れたのは別に神の恩寵なんて関係なかったんや→どのみちダメなんだし、-5
- G(b)かつH2のとき、Hはどうしようもない→-5
- ぶっちゃけ、マイナスの点数は適当につけたので訂正が必要かもしれない。
- Gの決定はHの決定より先に行われ、Hから秘匿される
このとき、Gの状態に関係なく、H1=「Hが頑張る」が
ナッシュ均衡最適な選択になるんじゃないかと思うんですね。
GがHを救済しないって分かってたら、がんばってもがんばらなくても一緒じゃんってことになるけど、もしかしたらGは救済するって決定をしてるかもしれない。
じゃあ、Hとしては頑張るしかないんじゃん?的な。
どうでしょう。
【追記】
Gがaを選ぼうとbを選ぼうと、コストもベネフィットもゼロとするなら、H1はナッシュ均衡になりそうです。(下記、まとめ中の当該ツイート参照)
Twitterでのやりとりの記録(時系列のはず)
https://twitter.com/#!/mearythindong/status/160939128924553217
https://twitter.com/#!/_popopopoon_/status/160939608467705856
https://twitter.com/#!/mearythindong/status/160939729670504448
https://twitter.com/#!/_popopopoon_/status/160940265174081536
https://twitter.com/#!/mearythindong/status/160940486612357120
付随するツイートのtogetter上でのまとめ(
@khuludさんにも編集に参加いただけました)
http://togetter.com/li/245978
【まとめたので、うえのリンクは削除】
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