2013年8月17日土曜日

USBメモリでRAID0(ベンチマーク結果の画像つき)

カッとなってやった。

4GBなUSBメモリx2でRAID0をmdで構築してみました。

構築方法は次の通り

sudo mdadm -C /dev/md100 -l0 -n2 /dev/(USBメモリ1本目) /dev/(USBメモリ2本目)

USBメモリ単体でのベンチマーク結果


うむ、同時購入した同じ種類の2本なんだけど、くたびれ方が違うのか、書き込み速度が全然違う……

mdでRAID0組んだ場合のベンチマーク結果


読み込み速度は倍になったけど、書き込みはよりくたびれた(?)方のメモリが足を引っ張ってるみたい。
実用性はほぼゼロw

2013年8月10日土曜日

映画『つぐない』感想

フェリシティ・ジョーンズ→映画『ノーサンガー・アベイ』→ジェーン・オースティン→『高慢と偏見』→映画『プライドと偏見』→ジョー・ライト→映画『つぐない』
と連想ゲームで随分遠いところまで来たなという感が半端ないが、前から気になっていた映画ではあった。


いい映画だったのでお勧めです。単純な人間なので泣いた。
原作の翻訳もあるようなので、読みたくなった。ご覧になるお気持ちがありましたら、以下は読まないでください。
















偶然と偶然が重なり、そこに若干の屈折した感情が加わり、取り返しのつかない結果となる。
もちろん、この映画(とその原作となった小説)はフィクションである。
だが、その重大な結果を及ぼした要因どれも、現実でもありうることだな、と思う。

13歳の少女は恋愛というのを分かっていたし、分かっていなかったんだろうな、と思う。自分が同じ年齢であの立場だったらどうだろう?偽証までするかはわからないが、少なくとも同じ感情、「嫌悪感」と表現すればいいのか、一方、踏み込んで「不潔感」と言ってもいいのかもしれない、とにかく、あの感情は抱いただろうなと思った。

その少女は老女となり、ことのあらましを本にするが、1箇所だけ、フィクションが含まれている。
あのフィクションはどうなんだろうなぁ。本人は「せめて小説の中だけでも2人の時間を」という趣旨のことを言っているけど。
少なくとも、本に書いたようになっていれば、彼女の苦しみも幾分かは軽くなったろうとは思う。う〜ん。

2013年8月9日金曜日

『戦闘技術の歴史4 ナポレオンの時代編』レビュー

翻訳がひどいの一言に尽きる。

序盤から語訳が怪しいところがあって「原語表記しろよ」って思っていたが、海軍の章がとてつもなくひどかった。
端的に言えば、原語はcaptainと思われる語が「大尉」と訳されていて(captainを「大尉」と訳すのは陸軍の場合で、海軍の場合は「大佐」だし、おそらくこの時代のこの文脈では「艦長」が適切)、最初は「ウィロビー大佐」と訳されていたのに、次のページでは「ウィロビー大尉」となっていて、captainの訳をミスってるな、と気づくまで、この2つの人名が同一人物を指すということに気付かず、読んでて大混乱に陥った。
「彼(ウィロビー「大尉」)は大尉を[...]送り出し、[...]伝えさせた」って部分、「大尉が大尉を送り出し伝えさせた」ってまぁ、先任順とかでなきにしも非ずとはいえ、読んでておかしいって思うでしょ。
あと、戦闘図で「イギリス軍艦インフィジェニア」と言った舌の根の乾かぬうちに、「インフィジェニアの司令官アンリ・ランベール海軍大佐」って、司令官の名前をフランス人名風に訳してしまってたり(正しくは、「ヘンリー・ランバート海軍大佐」だろう。彼がフランス出身のイギリス海軍将校でない限りは)。

語訳のおかしさもさることながら、全体的な翻訳も直訳調で、「日本語訳」としての理解を妨げる。(「艦載砲はきわめて遠くまで球形弾を飛ばして、敵艦の骨組みを砕いて何千もの破片にすることができた。」という翻訳は、私には、仕事を放棄してるようにしか見えなかった。)

おそらく、原文がこういうやたらと「派手」で「回りくどい」表現を使っていて翻訳が難しいところだったとは思う。だけど、プロの翻訳家である以上、「日本語で読む読者のため」と理解を妨げるような表現は大胆にカットしてほしかった。Amazon.co.jpのカネゴンさんのレビュー(この方とはその昔、某掲示板でお見かけした記憶がある)の「翻訳者は内容を理解できていないのではないだろうか?」という言葉がかなりの説得力を持つくらいには直訳にすぎる翻訳だったし、監訳者も仕事をしてないと言っていいと思う。

日本語訳のほうが安いわけでもないので、今から読むなら、原著を購入されて読むことをお勧めしたい。私は、どうしようかな……。そのうち。





追記:
これは和んだ。

2013年8月4日日曜日

映画「今日、キミに会えたら」(原題'Like Crazy')の感想[ネタバレ含む]



フェリシティ・ジョーンズのかわいさに惹かれて借りてきました、「今日、キミに会えたら」(原題'Like Crazy')。


以下、感想をつらつら書きます(ネタバレ注意)














フェリシティ・ジョーンズは超かわいかったですよ。
メイクもどちらかというと、あまり好きじゃない、というか、いいと思えない、バチバチな感じではなくナチュラルメイクな感じだったし。
フェリシティ・ジョーンズはかわいかった。

まず、開始早々、フェリシティ・ジョーンズ演じるアンナとヤコブセンじゃなくてジェイコブが恋仲になるんですが、お互いにどこにどう惹かれてひっついたのか、という描写はほぼなく、3分クッキングで言うなら「冷蔵庫で3時間冷やしておいたものがこちらです」状態。
「この映画のテーマは『遠距離恋愛』だし、それまでのプロセスを省くってのはまぁ?まぁ?ありかな」という感じでとりあえず納得しながら進めて行ったわけですが、この部分の丁寧な描写を欠いたために、肝心のテーマに感情移入できなかった感が否めないです。
端的に言えば「そんなに辛い思いまでしてこだわってるけど、この男のどこがいいの?※」

そもそも、遠距離恋愛の理由(というか、それを長引かせる理由)が完全に自業自得で、「いっしょに居たいから、就学ビザ切れるけど、アメリカに残るぅ〜。また来る時のビザはなんとかなるっしょ」って不法滞在した結果、アンナにビザが下りなくなったというもの。
就労ビザの取得がかなり難しいのは言ってるし、実際、そうなんだろうけど、そこは、ヤコブセン、じゃなくてジェイコブ、それをオファーしたアンナにNoと言うべきだっただろう。

とまぁ、「自業自得やん」という言葉を頭の中に反響させながら、さらに進めて行くわけですが、弁護士に「結婚して配偶者ビザを取得すれば、不法滞在の件は不問になる」的なことを言われて、2人は結婚するんですが、アメリカの入国管理局の配偶者ビザ担当の人に「学生ビザの違反については、そちらで解除されないとこちらではどうしようもできない」と蹴られる始末。
「弁護士、仕事しろ!!!」だし、「配偶者ビザなんてあんのかよ!!!なら、不法滞在とか無理せんで良かったんちゃうん」とやっぱり自業自得感が強まる。

さてさて、一緒に暮らせるわけでもないのに、結婚だけはしてしまった、お二人、人肌の恋しさは拭いがたく、現地夫・現地妻を抱え込むことになります。まぁ、どちらの方も、相手が複雑な事情を抱えてることは承知の上なので、その点は差し引いて観る必要がありますが、正直、主人公たちよりもこの2人の方がかわいそうでならない。
特に、アンナの両親の前で「問題があるのは分かっていますが、彼女が必要なんです」とプロポーズまでした現地夫・サイモンが超かわいそう。なんてったって、その直後にアンナにビザが下りて、「やっぱり、私、あっちにいくー」ですからね。

とまぁ、いろいろ書きましたが、個々の描写は良かったんじゃないのかなと思います。

主人公たちの使う携帯電話がとてもいい小道具として働いていて、最初はパカパカ携帯だったのが、最後はアイフォーンになっていて、2人の唯一の「つながる」ための道具という事も加わり、時の流れをうまく表現していたと思います。「時間の経過だって表現することが出来る。そう、アイフォーンならね。」
あと、ヤコブセン、じゃなくて、ジェイコブのそもそも危うかった髪が更に危うくなるのもリアリティありましたね。

アンナのもとにサイモンがなんか謎の電磁調理器具を返しに来るシーンがあるんですが、そこのヤコブセン、じゃなくて、ジェイコブ目線のカメラアングルは良かったです。
「なんで、想い合ってる自分たちは(物理的)接触が難しいのに、何の関係もない奴が簡単にこなすんだ」って。

2人が喧嘩するシーンも良かった。2人が離れがたいほど愛し合ってる、というのには、ほとんどリアリティを感じなかったですけど、喧嘩はとてもリアリティがありましたね。
「サイモンか!あいつと寝たのか!」ってのサイコーでした。言われてしまったがゆえにそうなるあたり、「予言の自己成就」っていう言葉が頭をよぎりました。

アンナとヤコブセン、じゃなくて、ジェイコブとの間ではそうでなかったのに対し、主人公たちとそれぞれの現地夫・現地妻との間には、比較的、明示的なセックスシーンがあったのは、「結婚してるのに」と観ている側に想起させる上で、それなりに効果的だったと思います。

とまぁ、ツッコミどころ、良かったところはこんな感じなのですが、全体的な感想は、「この映画は今、付き合ってる人がいる人向けの映画なんだろうな」です。特に、すでに遠距離恋愛してる人とかかな。
とりわけ、主人公間の結びつきの強さですが、そういうのをいちいち描写されなくても、今の自分の抱える関係と重ねあわせて「あ〜、分かる分かる」と思えないと、「いい映画だった」とは感じられないのだろうと思います。

少なくとも私に関して言えば、「自業自得やんw」と冷静かつ理性的にツッコミを入れられるあたり、それほどまでに感情を込められる相手がいないということの証左なのでしょう。まぁ、ぽぽさんの場合、そういう人がいてもやっぱり、その人のこと考えたら、今とおんなじ反応する可能性が高いですけど。
逆に言えば、「不法滞在で過ごした数ヶ月が彼らにとって一番幸せな時間だったのかな」と考えられなくもないですが、私は生き急ぎてる感があって嫌ですね。

だから、制作サイド意図はさておき、私は、この映画のエンドはハッピーエンドに見せかけたバッドエンドだと思いました。
「いろいろあったけど、一緒になれてよかったね」となるには、やはり、最初に戻って、主人公たちがどこにどう惹かれあったのか、という描写が圧倒的に足りないです。

だって、ヤコブセンよりサイモンの方が絶対いでしょ※

(※完全にフェリシティ・ジョーンズの側に立ったコメント)









2013年7月29日月曜日

歩兵方陣vs(重)騎兵突撃についての引用

引用元: 『戦闘技術の歴史 4 ナポレオンの時代編 AD1792-AD1815』 p.171
([]内は引用者による注)

カトル・ブラ[の戦い]は、騎兵の強さと弱さの両面をはっきりと示す事例だ。しかし、カトル・ブラ、そしてその後のワーテルローで、フランス胸甲騎兵の襲撃を持ちこたえた強靭なイギリス方陣のイメージは、すべての歩兵大隊は方陣を組むべきで、方陣は騎兵攻撃に耐えられるという誤った印象を与えてしまう。これは、明らかに間違った考え方だ。イギリス連隊がカトル・ブラで組んだ方陣を、当時の標準的な方陣と考えてはいけない。ナポレオン戦争の時のイギリス歩兵は、当時の最強歩兵だった。彼らの指揮と訓練はほかに類を見ないもので、頑強に陣地を守るという彼らの評判が、カトル・ブラでの素晴らしい防御で充分に証明されている。
実際に、ナポレオン戦争のあいだ、フランス騎兵も同盟国側の騎兵も、歩兵の方陣を崩している。単にある隊形を組むだけでは、騎兵攻撃を撃退することはできない。頑健な精神に並外れた訓練、冷静な勇気がなければ、押し寄せてくる重騎兵の攻撃を前にして、歩兵方陣を断固として持ちこたえることはできない。そして、そのすべてがあっても、部隊が圧倒されることもあった。つまり、イギリス歩兵がカトル・ブラ、そしてその後ワーテルローで成し遂げたことは、とてつもない偉業だったと認識しなければならないのだ。

2013年4月22日月曜日

しろろさんぼっとの最新版ソースコードを公開しました。

しろろさんぼっとの最新版ソースコードを公開しました。
『リーダブルコード』影響を受けてコードの全面的な見直し・書き直しを行ったほか、本家ツイートのRT機能を追加し、初期設定を簡易化するためのスクリプト(setup.py)を書いて、同梱しました。

説明書きのindex.htmlがまだ不十分な気がしていますが、ぼっとの設定・展開・運用が容易になったと信じています。

ライセンス:MITライセンス

ダウンロードはこちらから
http://ubuntuone.com/4K7bG6TUhbrjv2f4ZDPR2n


2013年3月17日日曜日

ドイツ語練習帳(日記)

Gestern besuchte ich die Ikko Tanakas Ausstellung in Nara.
Dort sah ich deutschen Posters, aber kann ich nicht alle Information darauf lesen.
Ich möchte Deutsch mehr verstehen.