2011年9月10日土曜日

『ヒトラーとスターリン』:6

『ヒトラーとスターリン』下 pp.627-628
情報源、組織、その長がみな優秀だったのなら、いったいなぜソ連はドイツの侵略にあれほど無防備だったのかと問われて当然だろう。
ジューコフはのちに「問題はゴリコフがスターリンの直属で、他の誰にも、参謀長[ジューコフ自信]にも国防人民委員のティモシェンコ元帥にさえも報告しなかったことだ」と述べている。
ゴリコフはスターリンの子飼いで、スターリンはゴリコフの情報本部が作成した報告と分析を読むだけだったのだ。スターリンはチャーチルとちがって、情報の意味と信憑性を自分で判断するために時どき原型のまま情報を調べてみる手間を決してかけなかった。そのうえスターリンは情報の区分け、すなわちマルかバツか、「信頼すべき筋」と「疑わしい筋」に仕分ける作業をゴリコフに任せっきりだった。ゴリコフがいったいどんな分類基準を用いたのか、それは誰にもわからないが、1941年3月20日に彼があちこちのGRU要員に送ったメモからいくらか想像はつく。彼はスパイ網にこう指示していた。「戦争が間近いと述べている資料はすべて、英国またはドイツの情報源によるでっちあげとみなすこと」。
赤いオーケストラの「大親分」レオポルド・トレパーもこういうメモを受け取った側だが、彼によればゴリコフはシュルツェ=ボイゼンやゾルゲやまたトレパー自身といったスパイからの重要な報告の余白に「二重スパイ」とか「英国情報」と書きなぐるのがつねだったという。こうしてゴリコフは、スターリンが自分の現実観に一致しない情報のすべてに抱く疑惑を確認させてやったのだ。
なぜゴリコフはこんなことをしたのか?明白かつおそらく正しい答えは、スターリンがそう望んだということであり、ごり古布はそれにしたがったにすぎず、ロシアの3U症候群、つまりウガダート、ウゴディート、ウツェレートと呼ばれるものを発揮したにすぎないのだろう。これは「嗅ぎつけ、胡麻すり、生き延びる」とでも訳したらいい。あるいは別の言い方をすれば、ボスが何を望んでいるかを知り、何をおいてもそれを提供するということだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿