2011年9月27日火曜日

Wikipedia: ドライゼ銃

この新兵器は1848年からプロイセン軍で徐々に配備が始まり、1849年にドレスデンで発生した5月暴動の市街戦において初めてプロイセン軍によって実戦使用されたが、1848年のベルリン暴動で武器庫から多数が盗難されてしまったため、その機密が維持されていた時期は短かった。
プロイセンの台頭と共に、プロイセンと同盟した他のドイツ各州にも普及していったが、保守的だった多くの欧州諸国の陸軍は、ドライゼ銃の紙製薬莢にも後装式の優位性にほとんど理解を示さず、1860年代にプロシアが対外膨張へ転じるまでの長い期間、ドライゼ銃は過小評価され続けていた。
ナポレオン戦争以後、第一次世界大戦以前の軍の保守性というのはいろいろ耳にする(機関銃による濃密な火網の過小評価、決戦兵科としての騎兵の重視、その他もろもろ)ところであるが、この保守性とは他の時代と一線を画するものなのだろうか?
つまりは、この保守性は「他の時代と比べて」保守的である結果のか、そもそも、軍の保守的な「時代を越えた」ありかたが「世間一般に暴露される」ことになった結果のものなのかという疑問である。
前者については、
  • ナポレオンの登場のインパクト(そしてまた、それに対して勝利したという成功体験のインパクト)が強すぎた
後者については、
  • 軍というのが階級を持つものであり、概して年功序列であり、技術・方法論で大変革があると困る上の人が多いのはいつの時代も同じ
  • ナポレオン戦争以後の国民意識の高まり、新聞などの情報伝達手段の発達から、(よく知らないが、従軍記者などによって)軍にも透明性が生じつつあった 
というのをそれぞれパッと思いついた。また思いついたらちまちまと書こうかな。

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