2011年9月11日日曜日

『ヒトラーとスターリン』:7

『ヒトラーとスターリン』下 p.672 (訳者・根岸隆夫氏による2001年の解説)
独ソ不可侵条約の研究者キャメロン・ワットの論文「諜報活動での驚き―ナチ-ソヴィエト協定の予測に失敗した英国外務省」(雑誌『諜報と国家安全』1989年4月号収録)は、クリヴィツキーが1939年4月29日の『サタデー・イヴニング・ポスト』誌で独ソ不可侵条約締結4ヶ月前に独ソの接近を予測、5月4日に、『ボルチモア・サン』紙記者にリトヴィーノフ外相の解任でスターリンはヒトラーに接近意思を明確にしたとし、同じ2つの記事でスターリンの同郷グルジア出身のカンデラキ・ベルリン駐在ソ連通商代表部による1936年と1937年の冬にかけての対独接近工作に触れているのにかかわらず、英国外務省は全く信憑性に欠くとして無視したと論じている。これは日本外務省とて同じで、クリヴィツキーの証言は公開情報なのであるから、これを重視して独ソ接近のシナリオを描くこともできたはずだ。何よりも日本の外交暗号を(それに陸軍暗号も?)破ったと彼は言っているのであるから、暗号の徹底的変更を行って、1940年代に日本が経験する悲劇を少しでも和らげることができたのかもしれない。公開非公開を問わず情報一般の重要性にわれわれ日本人は著しく鈍感だ。日本語は難しい、外国人にはわかるはずがない、というのは驕りであり無知であるが、当時も今もあまり変わっていないようだ。現在日本の政治・経済・軍事・企業の情報がどれほど刻々垂れ流されているか、想像するだに背筋が寒くなるではないか。ましてインターネットの時代である。昔は今の鏡なのである。

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