2017年2月28日火曜日

Twitterプレミアム会員になってみた話

2017年2月28日現在、Twitterにプレミアム会員なんてものはありませんが。
無駄に広告を出してみたよ、という話です。

経緯

TLに「Twitterは怪しげだったり、不快だったりする広告を出すくらいなら、私を頼ってくれたらいい(お金払う)のに」という趣旨のツイートが何度か流れてきていたのが発想のきっかけです。Twitter社の経営状態も良くないようですし。

「無料で使えるものにお金を払っているユーザー=プレミアム会員」という安直な考えの下、「Twitter社にお金を払うためだけの広告を打つというの、意外と面白いのでは?」と考えました。

Twitterに広告を出すまで

1. 右上のアイコンをクリックすると、「Twitter広告」というボタンがあるので、クリックします。
2. 初回は「どこ住み?」「タイムゾーンどこ?」って聞かれたので、答えてあげました。

3. 「広告で何をしたいのか?」と聞かれたので、「ブランド認知度の向上」と答えました。もちろんTwitterのそれの向上が目的です。
(フォロワーの獲得とか、ツイートのエンゲージメントとか、他にもいろいろ目的を設定できます。)

4. あとは画面にしたがって設定を行います。取り上げたい点だけをピックアップして紹介します。

  • 広告を打ちたいと思うユーザーまたはそのユーザーに似たユーザーもしくはその両方が選べる
    • これは結構、面白いと思いました。
    • 今回は、こういう試みを喜んでくれそうな人(e.g. @kozawa さん)とその周辺の人をターゲティングの対象としました。
    • 他にも「興味関心」というフィルターがあったり、テレビ番組に反応している人というフィルターがあったり、結構いろいろできます。
  • 予算が設定できる。
    • 当たり前ではありますが、1日の上限(必須)と総額(オプション)が設定できるので、安心してTwitter社にお金を払えます。
    • 今回は総額を1000円としました。1日の上限はちょこちょこいじって、様子を見ました。
    • 逆に言えば、不愉快な広告はポチポチ押せば、予算の上限に近づくので、押せば良いと思います。


5. 今回は以下のツイートを流しました。

ツイート1

 ツイート2
6. 管理画面を眺めてると、2つのツイートがどんな感じでプロモされてるのかがわかってめっちゃ楽しい。



で、結局どうだったのか


ちょうど24時間くらい流していました。
まずは数字の話から。
この記事を書いている 2/28 22:30くらいの時点で、次のような感じです:

ツイート1

  • Fav数: 63
  • RT数: 72
  • インプレッション: 3989
  • 利用金額: \278


ツイート2

  • Fav数:96 
  • RT数:87
  • インプレッション: 3934
  • 利用金額: \587

合わせて:

  • Fav数: 159
  • RT数: 159
  • 利用金額: \865
  • インプレッション: 7923

ザコアカウントにしては、上出来みたいな気分になります。
2つのツイートで、数値的な差以上に、ツイート2の金額とツイート1のそれとの差が大きいのはよくわからないです。

おもしろかったので、広告の管理画面を1時間ほどずっと眺めていたのですが、ツイート2はセルフRTしたこともあり、フォロワーさんを通じて広まった感があります。
一方でツイート1はプロモツイートに流れたものからじわじわ広まりました。
共通のフォロワーがいない人にもポツポツ、Fav/RTされてて、こういうところにリーチできるのもプロモツイートの面白いところだなと思いました。

印象としては、ツイート1はTwitter社のおかげで、ツイート2はフォロワーさん経由で、みたいな印象を持っていたので、なおさら、査定額は不思議です。


24時間、広告を流したと言ったな。あれは嘘だ。

家に帰ったら、ちょうど24時間くらいだなと思って、止めようと思ったら、こんなメッセージが。


気づいてなかったのですが、メールも来てました。

確かに、「好ましくはない商慣行」なのかもしれないですね?
ただ単に、広告したいものがないのに広告打ってくる困った奴だったのかもしれませんが。

気が向いたら、Twitterへの愛を広告サポートに投げます。

というわけで、このメールが来たのが13時くらいだったので、ちょうど17時間くらいの計算になりますね。

個人でも意外と使える

私は今回、広告したいものがなかったので、「参加資格がない」と言われてしまいましたが、

  • 本を出す方(研究者の人とか)
  • 同人活動をされてて、どこかに出展するよ、という方
  • その他諸々の活動をされている方

なら、Twitterに広告を出してみる価値はわりとあるのでは?というのが今回の感想です。
Maxで1000円という設定で、これまでつながりのない(共通のフォロワー・フォロイーがいない)人にツイートが届き、Fav/RTしてくれた方には、ちょっとおもしろがってもらえました。

個人的には、そういう広告が増えて、いかがわしい、あるいは、不愉快な広告が減ってくれたらいいなと思います。

2015年10月7日水曜日

Nexus5を修理に出した話

それは突然のこと

去る9月27日(月)に突然、Nexus5がお亡くなりになった。

バッテリーのみでは電源も入らず、USBポートに電源を繋いでもGoogleという文字を出して起動しようとして落ちる、起動しようとして落ちるを延々と繰り返すという始末。

今にして思えば、前々から、不意に再起動がかかる、いつの間にか切れてた等々、予兆はあった。

10月1日に不慣れな東京に行かないと行けないのにもう!というタイミングである。
見方を変えれば、このタイミングで良かったという説もあるけど。

一方、Nexus5Xの発表日の29日を明後日に控えていた。買い替えへの機運の高まりを感じないわけではなかったけど、E-mobile(現Y!mobile)でNexus5+回線の契約の際、「故障安心パック」なるものに加入しており、これを使わない手はなかったので、早速翌日修理に出すことにした。

修理してもらう

翌28日午前、京都駅のヨドバシカメラ内のY!mobileは修理受付を行っていると判ったので、持ち込んでみたものの、代替機がないと言われてしまった。
困った時のヨドバシさんの中のだし、大丈夫だろと思ってたのになぁ……、仕方ない。

うちには前の契約で使っていたSIMフリーのスマホがあるので、面倒くさいし、それを代わりに使うことにして、代替機なしで預けてしまおうかとも思った。
でも、店員さんに「SIMフリーのスマホも周波数とかあるので、一度試されてからのほうがいいと思いますよ。それで動けば慌てて修理する必要もないですし。」と的確で冷静なアドバイスを頂きまして、ここは一旦引き下がることに。

ただ、「他のショップなら代替機があるかもしれないので、電話で確認されたらいいと思います」って言われたときは「いや、その電話が壊れてるんですよ」と言いかけてやめた。

一度、大学に向かう途上、「要は、他に行けるショップで代替機のあるところに修理に出せばいいんでしょ」という当然の結論にたどり着き、研究室のPCで調べてみたら、ありました。大学の近くに。

研究室からショップに電話したところ、代替機があるとのことだったので、ひとに自転車を借りて預けることに。大した手間もかからず、30分程度で受付が完了した。

データのはなし

今回はほぼ突然死といった状況だったので、データを救出する時間がなかった。が、データ損失は皆無ではないけど、致命的なものはなかったのが不幸中の幸いだったと思う。ちょっと列挙しておきたい。

カメラのデータ

2014年3月に購入してからカメラで撮った画像・映像がすべてNexus5に収められていたけど、Android版rsyncでときどきPCにコピーを取っていたし、Google Photoにも保管していた(ただし、容量無制限で利用したいのでサイズ縮小)ので、このデータの損失は最小限に抑えられた。やったね。

LINEトークのデータ

正直、これが一番危なかったと思う。幸い、2週間ほど前に必要なトーク履歴は全てバックアップの上、zipを自分のクラウドに上げており、データの損失は2週間ほどで済んだ。
また、メールアドレス登録していなかったので、連絡先やスタンプをどうしようと一瞬焦ったけど、Facebookと連携させていたので、こちらを使ってログインすることで、これらも無事に回復させることができた。

ゲームのデータ

シューティングゲームアプリでときどき遊ぶのですが、その成績やらアイテムのデータは消えてしまうのかなと諦めていたけど、Google Play ゲームでログインするアプリだったため、その認証情報でデータを取り戻すことができた。

スマホの設定データ

アプリも壁紙も設定もほとんどがGoogleに情報が保管されていて、ログインするだけですべて復元してくれた。代替機でのログインはメインアカウントのパスワードが長すぎたのでサブで入ったため、この恩恵にはあずかれなかったけど、修理から帰ってきた自分のリセットされた機体ではフル活用できた。環境の再構築の手間がほぼ省かれた。

メールや連絡先

キャリアーメールは一切使わず、Gmailのみ使っているため、消える要素なし。

消えたデータ

VPSやPCのSSHの秘密鍵とかくらいかな……。

長々書いたけど、要はNexus5にしかないんだ!!というデータはほとんどなくてよかったという話。
Googleのコンセプトムービーでスマホがいくらぶっ壊れても、データはクラウドにあるから大丈夫ってのがあって、まさにその感じ(リンク貼りたかったけど見つからなかった)

繰り返しではあるけど、LINEが使ってる人にとっては鬼門になると思うので、メールアドレス登録かFacebook連携の少なくともどちらかはしたほうがいいし、トークを残したい人は面倒だけど、こまめにバックアップして、Dropboxとかに放り込むべき。

修理代金の話

「修理が終わったので店舗に取りに来てください」という連絡は10月6日の午前に来た。預けてから1週間。めっちゃ早い。
LGが出してきた修理代金は29,160円でだいたい思ったとおり、そこに故障安心パックが適用されて27,540円引きで、支払った額は1620円だった。
受付をしてくれた店員さんから「Nexus5の修理で一番多いのは落として割れたってパターンで、この場合、外装修理ってことで1,620円で直る」と聞いていたので、外装もボロくなっていたから、その分だけって感じ。
電源が入らない件についてはメイン基板交換対応となっているけど、これはゼロ円。

故障安心パックが540円/月で18ヶ月目での故障なのを加味すると、合計で、
1620 + 540 * 18 = 11340(円)
私はわりと納得かな。
こういう点ではキャリアから買うメリットってあるのかも、と今回の件で思った。
Nexus Protectは日本でも使えるようになったらそれでいい話ではあるけど。

2015年2月7日土曜日

長期在外研究する人向けのスマホの話

研究室で4月あたりから在外研究で長期間、海外に離れるDの先輩とお話してて、「聞いて良かった」と言ってもらえたり、「在外研究 スマホ」でググっても結果があまりかんばしくなかったりで、割と需要がありそうなので、「在外研究で長期間海外にいるんだけど、スマホとかネットとかどうしよう」って方に向けて、どうしたらいいかって話を書こうと思った次第です。

はじめに

執筆者はおうち大好き、海外に出た経験なし人間なので、現地の通信事情については明るくないこともあり、「調べる方向性」について書こうと思います。(もっとも、海外経験があっても、各国・各地方で事情は異なるでしょうから、それぞれのケースで調べていただく必要は当然あるのですが。)

SIMロック

日本の大手キャリアーの多くのスマホは「SIMロック」というものがかかっています(本記事執筆当時)。
「SIMロック」の詳細については、こちらを参照していただくとして、要点は次のとおりです。
  • モバイル通信できるスマホにはSIMカードというものが挿さっていて、これには携帯電話番号や移動端末通信網を利用するために必要な情報が書かれている
  • SIMロックはそのスマホを販売しているキャリアーのSIMカードしか使えないようにするロックのこと
  • SIMカードがないとモバイル端末として使えない(Wifiは使える)
したがって、SIMロックのかかったスマホでは日本国内のキャリアーの通信網しか使えないため、当然、海外ではそのままでは使えません。「海外ローミング」というサービスを携帯電話会社に申しこめば、SIMロックのかかったスマホでも海外で通信はできますが、その際、1日当たり数千円の費用がかかることになり、1日2日ならまだしも、それ以上になると、とても経済的とは言えません。

SIMカードは交換できる

しかし、このSIMカードは本来は交換可能なものなのです。
SIMロックさえかかっていなければ(「SIMフリー」という)、好きな通信サービスのSIMカードを挿すことができます。それはたとえ、海外のキャリアーであっても同じことです。
一方、海外では、現地のキャリアーのSIMカードが販売されています。SIMフリーのスマホさえ持っていれば、それに現地のキャリアーのSIMカードを挿せば、日本と同じように利用できます。1日当たり数千円を払う必要もありません。
また、日本でも、SIMカードだけを販売している通信業者もありますので、日本に一時帰国する際は自分の滞在期間・用途に合ったそのようなSIMカードを購入すれば、日本でも同じようにそのスマホを使うことができます。

ここまでの話を要約すると、SIMフリーの端末さえ持っていれば(ある程度の制限(後述)があるにせよ)、日本でも現地でも同じスマホを使い続けられるから、安くて便利、ということです。

SIMフリーなスマホの入手方法

では、どうやって、SIMフリーなスマホを入手するのか?ということに話を移します。

すでにスマホを持っている場合

すでにスマホを持っている場合、キャリアーや端末によりますが、窓口に行けば、「SIMロックの解除」=「スマホのSIMフリー化」をしてもらえる場合があります。
今持っているスマホに不満がなければ、おそらくこれが最も安く・手軽にSIMフリーなスマホを入手する方法なのではないでしょうか。

また、契約解除料を払って、SIMフリーなスマホを買うというのもありますが、それは次項に回収される話なので、それをご覧ください。

スマホを新規購入・機種変する場合

新規購入の場合

新規購入であれば、素直に、そもそもSIMフリーな端末を購入するのがベストだと思います。
最近では、SIMフリーなスマホはネットで買えます(Androidならもっとも有名なSIMフリーなスマホにNexusシリーズがあります)し、それに挿す用のSIMカードも数多く売られています。

もっともありえそうなケースは「今持っているスマホと契約解除月と在外研究の出発時期とに開きがある」場合かなと思いますが、その場合は、解除月に解約して、SIMフリーなスマホを買い、出発までは、用途・期間に応じて適切なSIMカードを買って挿す、というのがいいように思います。

機種変の場合

さきほどの「もっともありえそうなケース」の亜種ですが、
  • 既にSIMロックの解除をしてくれるキャリアーで契約していること
  • ほしいと思うスマホがそのキャリアーから出ていること
  • そのスマホがキャリアーのSIMロック解除の対象機種であること
  • 新規購入より機種変のほうが何らかのメリットがあること
という条件が揃えば、現行のキャリアーからそのスマホに機種変するというのもありかなと思います。わからないことがあれば、ショップに駆け込めば教えてくれますし。
ただし、契約内容についてはよく考えなければならないです。というのも、契約期間中の解除は違約金が発生しますし、月単位の契約は割高な場合があります。最後の「何らかのメリット」とこれらのデメリットとを天秤にかけて判断する必要があります。

現地で新規購入の場合

というのもありでしょうね。ただ、そういう方はこの記事は読まないんじゃないかなと思います。

SIMフリーなスマホの選び方

スマホとSIMカードの相性問題

SIMカードにはSDカードがそうであるようにサイズがいろいろあります。したがって、買おうと思っているスマホに現地で契約しようと思っているキャリアーが提供するSIMカードが物理的に挿さる必要があります。
また、スマホによっては特定の周波数が対応していない場合があります(例えば、今は知りませんが、私がNexus5を契約した当初はauのSIMカードは挿しても動かないという事例を見ました)。
事前にそのあたりも調査しておかないと結局使えない、という話になりそうです。

Google Playに対応しているか

これはAndroid固有の問題なのですが、スマホによっては何らかの事情でGoogle Playに非対応なものもあります。このような端末では、Google Playからアプリをインストールすることができないため、不便を強いられます。検討しているスマホがこれに対応しているかは事前に調査しておかないと悲しいことになります。

現地・日本でのSIMカードの選び方

SIMフリーなスマホに挿すためのSIMカードにも容量や用途により種類がかなりあるかと思います。
多くの場合、次の点が問題になるのではと思います。調査の上、それぞれご自身の都合に合わせて選んでください。
  • 通信エリア
    • 現地で活動する地域が通信エリアに入ってないと意味ないですしね。
    • 日本に一時帰国するときに利用する場合も同様。
  • 音声通話の有無
    • SIMカードによってはデータ通信のみ可能で、音声通話(電話)できないものもある。
    • ただし、通話する相手が利用しさえしていれば、データ通信に音声を乗せるLINEやSkypeを使うことで問題にならない場合も。
    • Skypeは、普通の電話番号も買えるんでしたっけ。LINEはどうだったかな。
  • データ通信容量
    • 普段から使っている量に合わせて買えば良い。自分がどれだけ使うかわからない場合は、最初は1ヶ月単位の契約から始めて、様子を見るというのもあり。
      • 例えば、在外研究先の大学や住居にwifiが通っている場合は、それを利用すれば良いのでモバイル通信量は抑えられる。
      • 逆にそのような環境でない場合、モバイル通信量で全体の通信の多くを賄わなければならない上、場合によっては、PCの通信もスマホ経由で(「テザリング」という)行わなければならないので、それも上乗せして計算しなければならない。

さいごに

長々と書いてしまいましたが、私が先輩にお話したのは上記のようなことでした。
記事を読んで下さった方それぞれの事情がございますでしょうから、この記事の内容を基に十分に調査した上で、つつがなく出発できればと思います。

2014年10月12日日曜日

LibreOffice ImpressやMicrosoft Powerpointでわりと簡単に家系図を作る方法

研究室で「Excelで家系図を作れば簡単と聞いたがわりと面倒だった」というのを耳にしたときに、「Impressとかパワポ使ったらわりと簡単なのに……」と思いました(思っただけ)。

歴史学徒の場合、もちろん時代や研究対象によりますが、家系図を自前で作る必要がある場合も少なくないはず、と思って、「ImpressやPowerpointでわりと簡単に家系図を作る方法」を書き残しておきます。少なくともExcelよりかは自由度が高くていいと思います。

これから解説ですが、内容もスクショもすべてUbuntuのImpressです。Powerpointでも同等の機能があることは確認しているので、適当に読み替えるなり、相当するものを探すなりしてもらえれば、同じようにできるはずです。
前提はここまでにして始めます。

全体を通じて、「コネクター」と「整列」がキーワードです。特に後者はきちんと行わないと、線に段差ができたり、きれいに並んでいなくて見づらくなったりする、という事態が生じると思います。

さて、具体的な手順。
まず、テキストボックスで親を用意します。ついでに、用意した「親1」「親2」を水平方向で整列しておきます。

コネクターを選択して

「親1」のテキストボックスの右側から
 「親2」のテキストボックスの左側にコネクターを張ります。

コネクターの線種に二重線(=)があればいいのですが、少なくともImpressにはないので(Powerpointもなかったと思う)、太めの線の上に細めの白線を置いて二重線に見せる方法を採ります。
見せかけの線は1.5ptで揃えていきます(1)。
まず、先ほど引っ張ったコネクターの線の太さを6ptにセットします。
 先ほど同様に上からコネクターを「親1」から「親2」に張ります。

先述の(1)の通りにしたいので、今張ったコネクターの線の太さは3ptにします。そして、線の色を白に設定します。

これでだいたいOKなのですが、下の「親1」の側にように何か変な線が入ってしまいますが、これは重ねた白線が下の線より、ごくわずかに短い状態になっているからです。コネクターが自動的にテキストボックスをつないでいるため、これは微調整でどうにかなるものじゃありません。

なので、白線の側の頂点を出っ張らせることで対応します。

頂点の形状を「四角」に変えるといい感じに出っ張ってくれて、変な線も消えます。

ここで「子1」が生まれました。親同士をつないでいるコネクターの中心から「子1」上中央部にコネクターを張り、線幅を3ptにします。このままだと、白線の上に新しいコネクターが被ってしまうので、これを最背面に移動し隠します。

一人っ子核家族の家系図の完成。

2人めの「子2」が出来ました。子1の場合と同様につなぎ、処理します。「子1」へと伸びる線と「子2」へと伸びる線とがちゃんと重なるように、「上揃え」で整列させます。(「中央揃え(垂直)」だと文字ごとの大きさの兼ね合いから、うまく揃わず、段差ができてしまうことがあります。)

とりあえず、きれいに整列されてないけど、新しい家系図の完成。

これを整列していきます。親のテキストボックス2つを選択して、グループ化。同様に子のテキストボックスもグループ化します。

作ったグループ2つを選択して「中央揃え(水平)」で整列します。

これで、左右対称になってきれいに整いました。子の数がもっとある場合は、分布を使って、間隔を揃えてやるときれいです。

高校世界史の資料集にあった王朝系図を作ってみたらこんな感じ。一番の売りと思しき婚姻の二重線が1箇所しかないのはご愛嬌。
コネクターはテキストボックスを移動させた場合でも追従してくれますし、折れ曲がる位置も調整できるので、レイアウト変更に対応できるのが便利ですね。

CalcやExcelで作る場合と比べていかがでしょうか。個人的にはスプレッドシートで家系図を作るとか嫌すぎるので、検証は割愛しますが、こちらのほうが直感的で自由度が高く、二重線問題も重ねることで解消できるのでおすすめしたいと思います。

2014年8月3日日曜日

HHKB Pro2 Type-S 英語配列無刻印白を買った話

ついに買いました。Happy Hacking Keyboardの最上位版のType-S。
これまで、HHKB Lite2 日本語配列(黒)→同英語配列(白)ときてたわけですが、正当なルートといえばそうですが、行き着くところまで行き着いてしまった感があります。
母から支払いについて融通してもらった(総額を3ヶ月3分割)ため、踏ん切りが付きました。(感謝)

結論だけ言えば、買ってよかった、という1枚です。
この記事ではHHKB Lite2や無印のPro2との比較の観点から使用感(※あくまで個人の感想です)をつれづれなるままに書きたいなと思います。特に、Pro2 Type-Sは店頭にないと思うので、無印Pro2との比較は意味があるのかなと思います。(個人的にはType-Sと無印、どうしようかと思ったので)
もっとも、どういうキーボードが身体に合っているかは個人差があるものなので、最終的には意味をなすのかは余りわからないのですが……。

Lite2との比較。

  • キータッチが圧倒的に軽い
    • 個人的には軽いほうが好きなのでいいと思います。
  • 静か
    • Lite2はぽこぽこというメンブレン感溢れる比較的大きな音がしていた(研究室では正直うるさかったと思う)し、まだキータッチ的に似ている青軸のキーボードはカチャカチャうるさいですが、これは本当に静か。
  • USBケーブルが脱着可能
    • これは持ち運びをする上でかなりのメリットです。特別なキャリーケースなどは使っておらず、購入時に入っていた箱を持ち運びに使っているのですが、ケーブルの取り扱いがかなり煩雑でした。その点、このPro2はケーブルが脱着可能なので、かなりスマートに運搬が可能です。
  • 矢印キーがない
    • 事前調査で知っていましたが慣れないとテキスト入力時のカーソルの移動やLite2ではFnと十字キーの組み合わせで行っていた、Page Down / Up、Home / Endの操作がしづらいです。私はだいぶ慣れてきたので、問題はないかなと思っています。このレビューでは取り扱えませんが、日本語配列の場合は十字キーが付いているようですね。
  • Fnキーの問題
    • これも事前調査で知っていましたし、慣れの問題ですが、Fnキーがスイッチのデフォルトの状態で右にしかなく(Lite2英語配列と同じ位置)、スイッチでは左の◇キーをFnキーとするのが関の山で、Fnを左指で押すことが多かったですし、◇キーはUbuntuでUnityを使っている関係上、Winキー相当のままであって欲しかったので。ちょっと混乱しました(Fnのつもりで左のAltを押してしまうとか)。この点については、左側にもLite2と同じくFnが付いていて欲しかったと思います。まぁ、慣れの問題なんですけどね(2回め)
  • 無刻印なため、キーのプリントに惑わされない
    • デフォルトのスイッチ設定ではEnterキーの上はDelキーに割り当てられていますが、私はスイッチを弄ってBSキーとして利用しています。Lite2の場合は刻印があったので、'Delete'と書かれているのに実際はBSの動きをするという、決して気持ちのいいと言える状態ではなかったのですが、無刻印版なので、そのような心地の悪さは一切ありません。私はいじっていませんが、先述の通り左の◇キーをFnにしたり、◇キーとAltを入れ替えたり、というカスタマイズを必要とする場合も、活きてくるメリットなのではないでしょうか。あと英語・日本語以外を入力する場合も惑わされなくていいと思います。もっとも、キーの配列を覚えてなければなりませんし、HHKB独特のFnと組み合わせも頭に入れなければなりません。これも慣れの問題ではありますが。
    • 刻印ありの写真を見ているとASDFやEscにFnとの組み合わせで使うVol_Dnなどと言ったキーがありますが、あれはMachintoshモードでのみ利用可能なようです。したがって、HHKモードやLite Ext.モードで利用する場合は、使えもしないのに刻印があることになり、ここでも無刻印が生きてくると思います。
  • USBポートが使いやすい
    • 背面のUSBポートは、Lite2が1.1なのに対し、Pro2は2.0なのは有名ですが、Pro2の方が抜き差ししやすいです。家では有線のマウスを使っているのですが、Lite2のポートは作りを簡素にするためか、奥まっており挿しづらかったです。無線のマウスの受信機を挿す場合、挿せはするんだろうけど、奥まってるからどうやって取り外すんだろう、という気がしていました。その点、Pro2のものはそのようなことがないため、心配無用です。2.0なのはまぁ、1.1なのよりは使い道があって便利だと思いますが、まだ使用の機会には恵まれていません。Nexus5でもつなぐかな。
    無印Pro2との比較
    (もっとも、無印Pro2を購入して常用した経験はないため、店頭で触ったものとの比較であることに注意)
    • 静かではある
      • 公式に静音性を高めたと言われている代物ですが、本当に静かです。比較の動画はYoutubeに上がっていたので、ご覧ください。無印Pro2はうるさい店頭でもカチカチと聞こえるくらいには(それでもCherryな軸のキーボードより静かだが)音がしていました。これはスコスコという音で、音の大きさも小さいので、無印Pro2より静かなタイピングができると思います。
    • ただし、無印Pro2のキータッチを思って買うと違うかも
      • まったくの別製品だ、と言うほどの大きな差があるわけではないのですが、無刻印Pro2のキータッチを思って買ったところちょっと違うな、というのを感じないではないです。私はType-Sのほうが好きなのですが、ちょっと注意かも。といっても、店頭に置かれないので、注意しようがないのがつらいところ。
    このように意気揚々と書いてみたはいいですが、どれもカタログやダウンロード可能なマニュアルから分かるようなことばかりじゃ……という気がしてきました。
    HHKB全般に言われていることですが、上記で挙げただけでもpros/consがはっきりしている、使用者をはっきりと選ぶキーボードであることは再度、強調してもよいでしょう。

    価格も敷居を高くしている理由の1つですが、別の理由として、Type-Sは店頭に並ばないため、(少なくとも短期的に見て)安い買い物ではないにも関わらず、実際に触れることができないというのがあるように思います。というか、個人的にこの2点は購入をためらわせた2大理由です。
    前者は母のおかげで問題を緩和することができましたが、後者に関してネットで検索しても、ピンとくるレビューがなかったというのが、この記事を書いてみた理由の1つだったりします。

    Type-Sについて何か気になることがあれば、Twitterやこのブログのコメントをお寄せ頂ければ、所有者としてお答えできる範囲でお答えできたらいいなと思っています。

    本当は全国の大手家電量販店に置いてあって、実際に触って納得の上で購入できるのが一番なんですけどね。

    2014年5月15日木曜日

    Ubuntu 14.04で非標準の場所に置いたLXCのコンテナを自動起動する方法

    Redmine使いたさにLXCでUbuntuのコンテナを用意した。
    コンテナは使いまわしたいので、次のコマンドでHDDに置いた。

    sudo lxc-create -t ubuntu -n redmine -P /home/hdd/lxc

    自動起動してくれないとやってらんないので、今までの通り、

    sudo ln -s /home/hdd/lxc/redmine/config /etc/lxc/auto/redmine

    とした。/etc/default/lxcにもそう書いてあるし!
    # LXC_AUTO - whether or not to start containers symlinked under
    # /etc/lxc/auto
    LXC_AUTO="true"
    でも動かなかった。
    調べたところ、どうやら、man lxc-autostart曰くconfigの中のlxc.start.autoで設定するらしい。https://help.ubuntu.com/lts/serverguide/lxc.html#lxc-autostart にもそう書いてある。

    今回の場合、/var/lib/lxcに置いてなくて、sudo lxc-startで手動起動するときも-Pでディレクトリ指定しないと動かないんですが、当然、このconfigは自動で読みに行ってくれないと思うんですが……。

    とかつぶやいてたら、アドバイス頂きました。
    というわけで、ほぼ時を同じくして同じ結論にたどり着きました。
    sudo ln -s /home/hdd/lxc/redmine /var/lib/lxc/redmine
    これでうまく動きました。ひどすぎる。

    2014年5月13日火曜日

    Redmine on Ubuntu 14.04 (on LXC) の展開に苦労した話

    基本はこれに従った。

    lxcでコンテナ化してるし、redmineしかこのコンテナにはいれないので、Apacheの設定もシンプルでいい。http://www.redmine.org/projects/redmine/wiki/HowTo_Install_Redmine_on_Ubuntu_step_by_step
    http://niceymercibeaucoup.blogspot.jp/2013/01/redmineubuntu1210.html

    でも動かない。

    エラーメッセージをよくよく読むと、bundler/setupというのが見つからん的なことが書いてあるので、apt-get install ruby-bundlerで入れてやる。

    それでも動かず、エラーメッセージを読むと、/usr/share/redmineディレクトリにロックファイルを書き込む権限がないと叱られてるので、chmod 777 /usr/share/redmineで書き込み権限を与えてやる。
    どうやら、1回ロックファイルを置けば、あとは権限を元に戻しても大丈夫なようなので、chmod 755 /usr/share/redmineで戻す。

    これでいいんか知らんけど、とりあえず動いた。
    今やはりのDockerとか使えばいいんですかね。

    2014年3月13日木曜日

    Splashtop StreamerをUbuntu 13.10で使う話

    Nexus5は解像度が高いし、Splashtopでリモートデスクトップとか余裕じゃないの、とか思ったのがきっかけ。
    公式サイトからSplashtop Streamerをダウンロードして、
    sudo dpkg -i Splashtop_Streamer_Ubuntu_1210_v2.0.4.2_amd64.deb
    依存関係が満たされなくてインストールされないので、
    sudo apt-get install -f
    で依存するパッケージをインストール。
    で、Dashから「Splashtop Streamer」を起動しようとするも……、インジケーターが表示されず。

    どうやら、python-indicatorというパッケージもいるらしいです。
    入れたら無事動きます。

    2014年3月11日火曜日

    Android版Google日本語入力を英語配列キーボードで使う話

    2年前の同時代的にも性能の良いとは言えないスマホからNexus5に乗り換えて、今までのあれは何だったんだという感じになっています。

    使い心地とかはとても参考になるサイトがある(購入判断の時はお世話になりました)ので、これらは今のところ、そちらに譲る(=独自になにかあれば書く)として、今回は有線の英語配列キーボードをNexus5で使う話。

    というのも、この子の動きが機敏なので、キーボードをつなげたら、文献を読むときのメモを取るのに使えるんじゃないの?という発想です。
    一般的にはBluetoothでつなぐんでしょうが、Bluetoothってだけで、大したキーボードじゃないくせに値が張るんで現有のHHKB Lite2を使うことに。

    このキーボードは日本語配列と英語配列の2枚持っているのですが、日本語配列は当然ですが、Google日本語入力は何もしなくてもうまく使えました。
    一方、英語配列の方はまあ、あれです、Shift + 2すると「@じ」ゃなくて「”」が出るっていうあの状況でした。というわけで、これをきちんと英語配列キーボードとしてGoogle日本語入力に認識させる話です。
    ちょっと調べた限りではありますが、意外にもなのか、私が知らないだけで常識的なのか、見つからなかったので書きます。

    ちなみに、日本語が入力できないAndroidキーボードの場合は、素直に英語配列として素直に認識するようです。

    まずは、アプリ一覧より「Google日本語入力」を開きます。
    続いて、「ハードウェアキーボードの設定」へ移り、
     デフォルトでは次のようになっているのを、
     「システム配列」というのに切り替えてやります。
    これだけでなのですが、これでGoogle日本語入力を英語配列キーボードで使うことができます。日本語配列キーボードを使うときは面倒ですが元に戻したらOKです。
    日本語と英字に切り替えるのはAlt + ` です。これはWindowsとか(?)でも同じ作法ですね。

    ちなみに、この記事もHHKB Lite2英語配列から書いてます。使い慣れたキーボードのおかげで、文字入力は快適そのもの。だけど、まともにBloggerを扱えるアプリが見つからなく、ChromeからBloggerにアクセスしてというやり方しかなくて、めっちゃ書きづらいです(涙目

    2014年1月29日水曜日

    Google App Engine SDK for Pythonの更新

    GAE SDK for Pythonがアップデートされるたびにzipをダウンロードして~/binの下に展開するのがさすがにめんどくさくなったから、
    $ svn checkout http://googleappengine.googlecode.com/svn/trunk/python ~/bin/google_appengine
    したという話。まぁ、大丈夫っしょ(適当)
    あとは必要なものに+xするだけ。
    https://code.google.com/p/googleappengine/

    2013年12月14日土曜日

    Ubuntu 13.10でtexliveを入れるとシステムのフォントがIPAフォントになってしまうのを直す

    TeX環境をレポジトリからUbuntu 13.10に入れて作業しているのですが、入れた途端、システムのフォントがIPAフォントに変わってしまうのが気に入らないので直す方法。

    状況整理

    TeX環境の構築はtexlive-lang-cjkパッケージをインストールすれば一発です。

    問題点

    texlive-lang-cjkはfonts-ipafont-mincho, fonts-ipaexfont-mincho, fonts-ipaexfont-gothicに依存していて、どうやら、システムのフォントがこれらに置き換わってしまう模様。
    →TeXで使うから依存関係なんだろうし、TeXのコンパイルに問題があるのも嫌なので、依存関係を壊さずに解決したい

    解決策(良いとは言いがたい)

    /etc/fonts/conf.availから65-fonts-ipa*を移動して、 sudo fc-cache -fv として再起動。
    とりあえず直りました。見やすいです。TeXのコンパイルもきれいに通りました。
    ですが、あまり気持ちはよくないです。頭の数字を増やすのがいいのかな。

    2013年10月16日水曜日

    国防軍とヒトラー I 引用1

    エーベルトにとっては、僅か一年前に怒ったばかりのロシアの諸事件と同様のことが起こっていることは余りにも明白であったし、また余りにも恐ろしいことであった。すでにスパルタクス団は街頭に進出していた。ヴィルヘルム街の宰相官邸の中に坐ったままで、彼は、宮城にある根城から出てウンター・デン・リンデンを行進してゆく彼らのデモのざわめきを聞くことが出来た。ここで妥協したら、彼と彼の仲間はケレンスキーの二の舞を演ずることになるかも知れなかった。何故なら、そうしたら、スパルタクス団は、大した努力もせずに、協議会の指導権を握って、政府に既成事実を突きつけることが出来るであろうから。また、そうなればボルシェヴィズムが支配することなろうし、そして、そのような事態にたちいたった場合に、彼が独立社会民主党の支持をあてにすることができないことは明白であった。
    このようにして、あの十一月九日の運命的な夜には、内乱の妖怪に取りつかれていたエーベルトは彼の弱々しい権威を支えるための手段を絶望的に探し求めていたのであった。彼が頼りにすることが出来るのはいかなる勢力であったろうか?将校団はどうだったろうか?回答は劇的な形で突然やって来た。宰相のテーブルの上には、彼とスパの大本営とを個人的に、秘密の裡につなぐ電話がのっていた。不幸なマックス・フォン・バーデンが皇帝に対して、帝位を救うためには彼自身を犠牲にするように、と説得するために最後の絶望的な努力を行なって、失敗したのもこの電話を使ってのことであった。今度はその同じ受話器がマックス公の後継者に希望の便りを伝えて来た。エーベルトはその時一人きりであった。窓は閉ざされ、カーテンは引かれていた。しかし、それらを通して街頭のデモの騒がしい叫びは聞こえて来た。突然、電話が鳴り出して、他のすべての雑音を消してしまった。エーベルトは受話器をふるえる手で取上げた。そして、彼は喜びの余りに泣き出さんばかりになった。
    「もしもし、グレーナーですが。」
    スパからのきびきびとしたど軍人の声は尋ねた。政府はドイツを無政府状態から守り、秩序を回復しようという意志がありますか?
    「そうしたいと思っています。」とエーベルトは言った。「それでは最高司令部は軍隊の規律を維持し、それを平和の裡に帰還させます。」とグレーナーは答えた。エーベルとは尋ねた。最高司令部は兵士協議会に対してどのような態度をとられますか?彼らを友好的に取扱えという命令を出しました、というのがその返答であった。宰相は更に尋ねた。「我々がどうすることをお望みですか?」「最高司令部は、政府が将校団と協力してボルシェヴィズムの抑圧と軍規の維持にあたることを期待しています。また、軍隊への食糧の供給が確保され、交通運輸の妨害が排除されるようお願いします。」最後に、ヒンデンブルクが軍の指導者としてとどまることが報告された。
    このようにして、電話を通じての五、六回の言葉のやりとりのうちに、敗北した軍隊と動揺した半革命的政権との間には一つの協定が結ばれた。そして、この協定はその双方の当事者を極左的革命勢力から救うことにはなったが、同時に、ワイマール共和国は、この協定が結ばれたことによって、誕生の時に既にその没落を運命づけられたのであった。

    pp. 127 - 28

    2013年10月5日土曜日

    読書メーター使いにくいなと思ってブクログに乗り換えたらとても使いやすくて感動した件

    タイトルの通り。
    (以下、個人の感想です。各文、各文節ごとに「※個人の感想です」を補って読んでください。)

    読書メーターのUI使いにくすぎ。
    本を検索するのに和書・洋書って項目の存在理由がわからない。
    和書・洋書でフィルターいけない状況が想像できない。私に言わせれば、タイトル入れれば和書か洋書かは大半の書籍で区別がつく(Lancester, "Aircraft in warfare, the dawn of the fourth arm"ってタイトルの和書があるのか???)ので、和書のまま洋書のタイトル入れてひっかからないとかいうのとてもイラつく。
    あと、これは私の環境だけかもしれないけど、洋書名で検索かけると、スペースを勝手に省いて、次のページを押すと「そういう本ない」って言ってくるのもストレスだった。動きも遅い。
    読書メーターは名前の通り「読書」に特化してて、読んだページ数に関する情報とかが出て、そういう機能はまぁ、いいんじゃないかなと思うけど、使用日数で既読書籍の総ページ数を割って何になるのか私にはわからなかったので、とどまる理由もなかった。

    ブクログはその点、読書に特化しているのではなく、簡単に言えばAmazonで取り扱ってる各種媒体をすべてという感じ。検索カテゴリーも和書・洋書とかいう検索の上で利点のないものではなく、Amazonの分類にほぼ準拠していると思われる媒体別。検索欄に和洋を問わずタイトルを入れれば的確に本を表示してくれるのはサイコー。(というか当然でしょ)
    DVDやCDのレビューを書けるのは個人的には良いと思うし、AmazonのアフェリエイトIDも使えるので良い。レビューをブクログにまとめるインセンティブがあるのでレビュー関係はブクログで基本的にはやっていこうと思う。

    最初に読書メーターに入ったのはTwitterで(読書面で)気になる人がこれ使ってるパターンが多かったから、多分便利なんだろうという曖昧な理由だったけど、最初からブクログも検討すべきだった。自分の求めるサービスではなかった。読書メーターは気になる人たちのウォッチ用にする。

    2013年9月16日月曜日

    片山杜秀『未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命』(新潮選書、2012年)の感想など

    第一次世界大戦に興味を持ちだした頃だろうか、私には長らく疑問に思っていたことがある。
    それは「第一次世界大戦の『予示』ともいえる日露戦争を戦った日本は、その経験ゆえに、第一次世界大戦型の戦争への対応については世界的にリードする立場であってもよかったはずなのでは?」ということである。
    もちろん、この疑問の後には、「それなのに、第二次世界大戦での日本軍のあり方を見る限り、全くそうではない」と続く。

    あまり積極的に疑問の解消へ向かう努力をしていたわけではないが、無論、主に『歴史群像』などで知識を入れており(いわゆるミリタリー雑誌に属する部類であり学術的な文章でないことは最初に断っておく)、総力戦体制へ向けて産官学軍そろって第一次世界大戦を経験したヨーロッパから知識を吸収できるだけ吸収し、応用しようと努力したという知識は、不十分ながらも取り込んでいた。
    例えば、学で言えば、東京・京都の両帝国大学に経済学部が第一次世界大戦後に設置されたのは総力戦に対応できる経済体制を構築するための研究を行うためであったというのは、山室信一『複合戦争と総力戦の断層―日本にとっての第一次世界大戦』(「レクチャー第一次世界大戦を考える」シリーズ、人文書院、2011年) の合評会に参加した際、山室先生がおっしゃっていたし、歴史群像 No.118 2013年4月号所収の田村尚也「国家総動員法への道 総力戦に備えよ!」は先述の通りであるが、逆にそれ故、コンパクトに、国家ぐるみでの総力戦体制へ向けて官をメインにヨーロッパに学んだ様子が描かれる。
    産については、同じく歴史群像 No.94 2009年 4月号所収の中西正記「国家の動脈を確保せよ! 総力戦と鉄道行政」にてこれまたコンパクトに、官の主導のもと産の側で日本国内の鉄道が吸収・統合を繰り返し、合理化されていく様子を提示している。
    歴史群像 No.121 2013年 10月号所収の田村尚也「「総力戦」から見た陸軍派閥抗争 皇道派vs. 統制派」ではタイトルの通り、軍内部での「総力戦」に対応するための軍政をめぐっての、端的に言ってしまえば「ごたごた」をまとめている(これもコンパクトに)。

    しかし、どれもこれも、第一次世界大戦を話のスタートに据えており、「日露戦争→第一次世界大戦→戦間期(=総力戦体制構築期?)→第二次世界大戦」といった流れでは論述されていないし、それゆえ、私の疑問にも答えてくれてはいないように思う。

    今回、紹介・感想を書いてみる片山杜秀『未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命』(新潮選書、2012年)はしかし、この疑問にある程度の答えを与えてくれたように思う。(先述の田村「「総力戦」から見た陸軍派閥抗争 皇道派vs. 統制派」でも参考文献のトップに挙げられていてネタ本と言ってもいいと思う)

    日露戦争と第一次世界大戦の直接の連続性を述べているのが第2章の「物量戦としての青島戦役―日本陸軍の一九一四体験」である。
    ドイツの事実上の植民地である青島の日本軍による占領では、砲兵=火力を重視し、旅順攻略の無謀な歩兵突撃も見られないし、太平洋戦争での精神力偏重な陸軍のあり方も見られない火砲という科学や合理性を重視した戦い方が展開される。これは日露戦争の旅順での苦戦を反面教師としていたのだと筆者は(乃木希典を弁護しつつ)主張している。日本軍は日露戦争に学んでいたというのだ。
    次章「参謀本部の冷静な『観察』」では、ヨーロッパに派遣された観戦武官が第一次世界大戦の実相をどのように評価していたかを論じているが、日露戦争に関して言えば、日本軍の観戦武官は「ヨーロッパ諸国は日露戦争から誤った戦訓を引き出している」と評していたことが示される。これは主に、ベルクソンの「エラン・ヴィタール」の概念を援用して、無謀な突撃を繰り返したフランス軍を指している。
    彼らは旅順攻略から当事者たる日本軍とは異なり「精神力で優位に立つ者が戦いを制する」という戦訓を引き出し、火力重視から歩兵による突撃重視へとドクトリンを組み替えたとまで書かれている。
    この本には書かれていないが、史実としては結局、連合軍は火力・機械化戦力重視へと傾き第一次世界大戦では勝利を収め、フランス軍は第二次世界大戦でも火力は重視する軍備・ドクトリンを維持していいく(機械化兵力については第二次世界大戦型の運用を脱しきれなかったが)。また、敗れたドイツ軍は機械化戦力およびそれを駆使した運動戦重視の軍備・ドクトリンを整備していく。
    青島占領の時期に「戦車」などはなかったため、これを排しても、なお、この時期の日本軍は日露戦争を見て逆に振れてしまった同時期の国々に対し、一歩先んじていたと言えるのではないだろうか。
    筆者の日露戦争から第一次世界大戦への連続性の叙述はその後の「変質」との対比以上の重きを置いていないため、ここまで踏み込んだ叙述はしていないが。

    第4章「タンネンベルク信仰の誕生」で読者に見取り図を展開した後、筆者は本題へと移る。

    「皇道派」も「統制派」も、ヨーロッパ現地で学び取った「総力戦」へどう対応するかという問題について考えていたことは一致していた。対立点はその対応の方法だったのである。

    「持たざる国は持たざる国らしくあるべきである」と考えたのが「皇道派」
    「持たざる国を持てる国にすべきである」と考えたのが「統制派」

    第5章では小畑敏四郎を引っ張り「皇道派」がいかに身の丈に合った戦争を行うかについて述べられている。
    その方法とは端的に言えば、「タンネンベルク殲滅戦を再現する」こと。しかし、現地で「総力戦」を学んだ小畑は大国相手に日本陸軍がタンネンベルクを再現できるとは考えていなかった。
    小畑らの考えは
    1)「「持たざる国」日本よりもさらに「持たざる国」相手に」
    2)「タンネンベルク殲滅戦を再現すること」
    であったと筆者や再現してみせる。
    (2)は『統帥綱領』に記載された一方、(1)については、事実上の「「持てる国」相手の戦争には勝てません」と述べるに等しく、「命ぜられればそれに粛々と従う」軍人の本分から外れるとして、「皇道派」の高級軍人の胸のうちに秘せられることとなったという。
    筆者は『統帥綱領』に明記された(2)を「顕教」、(1)の留保を「密教」と称しているが、もっとわかりやすく「ホンネとタテマエ」でも十分に意を尽くしているであろう。

    第6章では、この「皇道派」に最終的に取って代わった「統制派」の思想を石原莞爾を引いて説明する。
    「持たざる国」を「持てる国」にするのに石原が手を付けたのが満州。この地の資源を開発し、産業を育成し、日本を「持てる国」にする。それまでは大戦争は行わない。それが石原の考えであった。石原の誇大妄想気味の試算でも30年以上かかる大仕事だった。
    が、満州は石原の手から滑り落ちることとなる。

    ここで、「皇道派」のつくりだした『統帥綱領』でその密教を知らず、かつ、日本を「持てる国」にできてもいない「統制派」が陸軍の実権を握り、太平洋戦争へ向かうという捩れた構図が出来上がるのである。

    続いて、筆者は本書の表題たる「未完のファシズム」として、明治憲法下での総力戦体制構築の困難さを説明する。
    端的に言えば、明治憲法のシステムは権力のバランス重視・一極集中を避けるため、と言えば聞こえはいいが、総力戦には向いていないシステムであったのである。
    有名な陸海軍間のみならず、閣僚間にも、そして、軍政間にも、ろくな協力・統制関係もない。
    それでも、それまでの国家存亡をかけた戦争、特に日露戦争を戦えたのはなぜか。それは「元老」という明治維新の立役者がいたからであった。これについては特に筆者だではなく、『太平洋戦争 決定版 (1) 「日米激突」への半世紀 』(歴史群像シリーズ)所収の黒野耐「「合意なき国家」大日本帝国の迷走」でも指摘されていることではある。

    第8章では中柴末純を中心に「玉砕への道」を示す。
    中柴はかの有名な「生きて虜囚の辱を受けず」を含む『戦陣訓』の起草者の一人と言われている。
    またもや彼とて、工兵出身の合理主義者で総力戦をよく知っている。
    中柴にとって「皇道派」も「統制派」も意味がなかった。先述の通り、軍が外交も内政も主導できない体制下では戦争のタイミングも相手も選べないし、喧嘩は相手が売ってくるものかもしれない。
    では、どうやって勝つか。答えは「敵の前で死んでみせることで相手を戦慄させること」だった。
    では、なぜ死ねるのか。筆者は思想的な系譜をたどっているが、私なりの言葉で書けば「天皇という日本人の中心がある限り、個は死んでも集団は死なない」からだった。

    終章は補論といったところ。


    全体として敬体の読みやすい文章であり、内容も一般読者を想定してか、かなり咀嚼されており、さらっと読めた。
    内容も私には説得的で、「玉砕」への道を精神史という観点から説明しようという本書の試みは私にとってはほぼ成功しているように思えた。
    「皇道派」にせよ「統制派」にせよ「玉砕派」(←今、私が付けた)にせよ、彼らの中に走っているのは「彼らなりの」という留保が付くものの合理性であり、その結末にあるのが合理性を超越した精神主義であったことは皮肉としか言いようがない。
    ただ、この本の説明だけで、「玉砕」への道を納得してはいけないのだろうな、という気もする。というのも、当然、精神史の説明でしかないからだ。
    先述した『太平洋戦争 決定版 (1) 「日米激突」への半世紀 』(歴史群像シリーズ)に所収されている片岡徹也「日本陸海軍の用兵思想"お坊ちゃん"と"放蕩息子"」では"放蕩息子"たる日本陸軍がいかに、プロイセン=ドイツ参謀本部からそのエッセンスを学び損ねたかを論じ、太平洋戦争は兵学上の兄弟の戦いであったと主張されている。
    先述の田村「「総力戦」から見た陸軍派閥抗争 皇道派vs. 統制派」では、山梨軍縮と宇垣軍縮と、同じ「軍縮」であっても、「皇道派」に沿った前者と「統制派」に沿った後者とでは性質が異なるものであったとし、どっち付かずの中途半端なものであったと結論付け、軍政のあり方も視野に収めている。
    そして何より、第一次世界大戦後の日本の軍人がそこまで「総力戦」、「持てる国」、「持たざる国」といった問題に向き合わざるを得なかったかの説明がされていなかったように思う。自分がすでに述べた山室信一『複合戦争と総力戦の断層―日本にとっての第一次世界大戦』(「レクチャー第一次世界大戦を考える」シリーズ、人文書院、2011年)をすでに読んだり、その合評会に参加していたためだろうか、「大戦はまた起こるし、それに日本は巻き込まれる」という当時の日本軍部などの強迫観念が本書全体を重低音のように響きながら、説明がされていなかったように感じてしまった。

    あとは、話が日本陸軍のみで進められており、海軍への言及がなかったことであろうか。「十死零生」の「特攻」を始めたのは海軍であったことを考えると、結論は「中柴の延長線上に「特攻」の思想もあります」でもいいので、本書はそのことまで言及してもよかったのではないだろうか。

    『戦争社会学ブックガイド: 現代世界を読み解く132冊』をちょこちょこ読んでいるのであるが、この中で印象的なことの1つとして「戦争は平時との断絶のみではなく、連続性である」ということがある。今回の本にも当てはまるなぁ、というのが漠然とした感想である。戦間期の「総力戦」研究とそれへの対応はもちろんのこと、『ブックガイド』のどこかで述べられていた「戦時の総動員体制が戦後の高度経済成長を実現した」という部分は石原の1970年代に「持てる国」にする「荒唐無稽」な計画も、ひょっとしたら、あながち間違いとは言えないのかも、とか思った。
    無論、満州事変以降、孤立を深めて世界経済から切り離されてどんどん苦しくなっていく戦前日本と西側の資本主義経済の世界の一員として生きていくことを決めてその中で繁栄していく日本とを比較するのは前提条件としてあまりにも違いすぎるのだが。

    2013年8月28日水曜日

    Langenscheidt Universal Dictionary Germanを買いました


    今回、買ったのは、Langenscheidt Universal Dictionary Germanです。
    独英/英独辞典でサイズは、縦横は文庫本のおよそ半分、厚さは薄めの文庫本2冊分くらいかなぁ。
    かなり(届いた時にあまりに小さくて驚くくらいには)小さいくて、ポケットに入れて歩ける感じです。(実際、歩いてます。)

    独和辞典は当然(?)、持ってるんですが、和独を持ってなかったので、先述の通りサイズも小さいし、安いし、で買ってみました。

    使用感といっても、まだ、購入日を含めて2日なので、まだ手に馴染んですらいない感じなのですが、とても好感触です。

    黒と青の二色刷りなんですが、赤が見分けづらい中程度の色弱者にとっては赤より青のほうが見分けやすくてとても嬉しい限りです。

    Amazon.co.jpのレビューでは「辞書というより単語帳」というものがありましたが、基本的に全くそのとおりです。
    ただ、「英語なら、こう表現する『あれ』」と『あれ』が浮かぶのであれば、英独辞書としてはかなり限定的ではありますが、ある程度、使えると思います。
    独英辞書としては表現の組み合わせについては当然ですが紙幅の関係上、基本的なものに限られています。小難しい文章は厳しそうですが、ドイツ語版Wikipediaの記事くらいの比較的平易な文章ならこれで読めなくはないかな、という印象です。

    このサイズで独英/英独を兼ねてて、しかも街で「これってなんて言うんだろ?」と思ったものを引いてみたら大体出てくる、というのはすぐれものだと思います。
    価格も安いので、ボロボロになるまで引き倒そうと思います。

    以下、個人メモも兼ねて。

    ドイツ語講座の先生(=学部2回の購読の授業の先生=研究室の先輩)に「ドイツ語の単語力がついてきたらこんなのもおすすめだよ」と言われたのが、Langenscheidt Großwöterbuch Deutsch als Fremdspracheで、ここからの芋づる式というかいろいろ調べて今回のこの辞書に行き着いたわけですが、管見の限りでは、こいつがこのシリーズで一番大きい辞書で、次いでLangenscheidt Powerwöterbuch Deutsch、Langenscheidt Taschewöterbuch Deutsch als Fremdspracheと収録単語数が減っていくようです。

    うん、書いててややこしくなった。

    てことで、画像の方も不等号付きで一応貼っておきます。

     >  > 

    とりあえず、Amazon.co.jpの表記、間違ってると思うねん。

    2013年8月17日土曜日

    USBメモリでRAID0(ベンチマーク結果の画像つき)

    カッとなってやった。

    4GBなUSBメモリx2でRAID0をmdで構築してみました。

    構築方法は次の通り

    sudo mdadm -C /dev/md100 -l0 -n2 /dev/(USBメモリ1本目) /dev/(USBメモリ2本目)

    USBメモリ単体でのベンチマーク結果


    うむ、同時購入した同じ種類の2本なんだけど、くたびれ方が違うのか、書き込み速度が全然違う……

    mdでRAID0組んだ場合のベンチマーク結果


    読み込み速度は倍になったけど、書き込みはよりくたびれた(?)方のメモリが足を引っ張ってるみたい。
    実用性はほぼゼロw

    2013年8月10日土曜日

    映画『つぐない』感想

    フェリシティ・ジョーンズ→映画『ノーサンガー・アベイ』→ジェーン・オースティン→『高慢と偏見』→映画『プライドと偏見』→ジョー・ライト→映画『つぐない』
    と連想ゲームで随分遠いところまで来たなという感が半端ないが、前から気になっていた映画ではあった。


    いい映画だったのでお勧めです。単純な人間なので泣いた。
    原作の翻訳もあるようなので、読みたくなった。ご覧になるお気持ちがありましたら、以下は読まないでください。
















    偶然と偶然が重なり、そこに若干の屈折した感情が加わり、取り返しのつかない結果となる。
    もちろん、この映画(とその原作となった小説)はフィクションである。
    だが、その重大な結果を及ぼした要因どれも、現実でもありうることだな、と思う。

    13歳の少女は恋愛というのを分かっていたし、分かっていなかったんだろうな、と思う。自分が同じ年齢であの立場だったらどうだろう?偽証までするかはわからないが、少なくとも同じ感情、「嫌悪感」と表現すればいいのか、一方、踏み込んで「不潔感」と言ってもいいのかもしれない、とにかく、あの感情は抱いただろうなと思った。

    その少女は老女となり、ことのあらましを本にするが、1箇所だけ、フィクションが含まれている。
    あのフィクションはどうなんだろうなぁ。本人は「せめて小説の中だけでも2人の時間を」という趣旨のことを言っているけど。
    少なくとも、本に書いたようになっていれば、彼女の苦しみも幾分かは軽くなったろうとは思う。う〜ん。

    2013年8月9日金曜日

    『戦闘技術の歴史4 ナポレオンの時代編』レビュー

    翻訳がひどいの一言に尽きる。

    序盤から語訳が怪しいところがあって「原語表記しろよ」って思っていたが、海軍の章がとてつもなくひどかった。
    端的に言えば、原語はcaptainと思われる語が「大尉」と訳されていて(captainを「大尉」と訳すのは陸軍の場合で、海軍の場合は「大佐」だし、おそらくこの時代のこの文脈では「艦長」が適切)、最初は「ウィロビー大佐」と訳されていたのに、次のページでは「ウィロビー大尉」となっていて、captainの訳をミスってるな、と気づくまで、この2つの人名が同一人物を指すということに気付かず、読んでて大混乱に陥った。
    「彼(ウィロビー「大尉」)は大尉を[...]送り出し、[...]伝えさせた」って部分、「大尉が大尉を送り出し伝えさせた」ってまぁ、先任順とかでなきにしも非ずとはいえ、読んでておかしいって思うでしょ。
    あと、戦闘図で「イギリス軍艦インフィジェニア」と言った舌の根の乾かぬうちに、「インフィジェニアの司令官アンリ・ランベール海軍大佐」って、司令官の名前をフランス人名風に訳してしまってたり(正しくは、「ヘンリー・ランバート海軍大佐」だろう。彼がフランス出身のイギリス海軍将校でない限りは)。

    語訳のおかしさもさることながら、全体的な翻訳も直訳調で、「日本語訳」としての理解を妨げる。(「艦載砲はきわめて遠くまで球形弾を飛ばして、敵艦の骨組みを砕いて何千もの破片にすることができた。」という翻訳は、私には、仕事を放棄してるようにしか見えなかった。)

    おそらく、原文がこういうやたらと「派手」で「回りくどい」表現を使っていて翻訳が難しいところだったとは思う。だけど、プロの翻訳家である以上、「日本語で読む読者のため」と理解を妨げるような表現は大胆にカットしてほしかった。Amazon.co.jpのカネゴンさんのレビュー(この方とはその昔、某掲示板でお見かけした記憶がある)の「翻訳者は内容を理解できていないのではないだろうか?」という言葉がかなりの説得力を持つくらいには直訳にすぎる翻訳だったし、監訳者も仕事をしてないと言っていいと思う。

    日本語訳のほうが安いわけでもないので、今から読むなら、原著を購入されて読むことをお勧めしたい。私は、どうしようかな……。そのうち。





    追記:
    これは和んだ。

    2013年8月4日日曜日

    映画「今日、キミに会えたら」(原題'Like Crazy')の感想[ネタバレ含む]



    フェリシティ・ジョーンズのかわいさに惹かれて借りてきました、「今日、キミに会えたら」(原題'Like Crazy')。


    以下、感想をつらつら書きます(ネタバレ注意)














    フェリシティ・ジョーンズは超かわいかったですよ。
    メイクもどちらかというと、あまり好きじゃない、というか、いいと思えない、バチバチな感じではなくナチュラルメイクな感じだったし。
    フェリシティ・ジョーンズはかわいかった。

    まず、開始早々、フェリシティ・ジョーンズ演じるアンナとヤコブセンじゃなくてジェイコブが恋仲になるんですが、お互いにどこにどう惹かれてひっついたのか、という描写はほぼなく、3分クッキングで言うなら「冷蔵庫で3時間冷やしておいたものがこちらです」状態。
    「この映画のテーマは『遠距離恋愛』だし、それまでのプロセスを省くってのはまぁ?まぁ?ありかな」という感じでとりあえず納得しながら進めて行ったわけですが、この部分の丁寧な描写を欠いたために、肝心のテーマに感情移入できなかった感が否めないです。
    端的に言えば「そんなに辛い思いまでしてこだわってるけど、この男のどこがいいの?※」

    そもそも、遠距離恋愛の理由(というか、それを長引かせる理由)が完全に自業自得で、「いっしょに居たいから、就学ビザ切れるけど、アメリカに残るぅ〜。また来る時のビザはなんとかなるっしょ」って不法滞在した結果、アンナにビザが下りなくなったというもの。
    就労ビザの取得がかなり難しいのは言ってるし、実際、そうなんだろうけど、そこは、ヤコブセン、じゃなくてジェイコブ、それをオファーしたアンナにNoと言うべきだっただろう。

    とまぁ、「自業自得やん」という言葉を頭の中に反響させながら、さらに進めて行くわけですが、弁護士に「結婚して配偶者ビザを取得すれば、不法滞在の件は不問になる」的なことを言われて、2人は結婚するんですが、アメリカの入国管理局の配偶者ビザ担当の人に「学生ビザの違反については、そちらで解除されないとこちらではどうしようもできない」と蹴られる始末。
    「弁護士、仕事しろ!!!」だし、「配偶者ビザなんてあんのかよ!!!なら、不法滞在とか無理せんで良かったんちゃうん」とやっぱり自業自得感が強まる。

    さてさて、一緒に暮らせるわけでもないのに、結婚だけはしてしまった、お二人、人肌の恋しさは拭いがたく、現地夫・現地妻を抱え込むことになります。まぁ、どちらの方も、相手が複雑な事情を抱えてることは承知の上なので、その点は差し引いて観る必要がありますが、正直、主人公たちよりもこの2人の方がかわいそうでならない。
    特に、アンナの両親の前で「問題があるのは分かっていますが、彼女が必要なんです」とプロポーズまでした現地夫・サイモンが超かわいそう。なんてったって、その直後にアンナにビザが下りて、「やっぱり、私、あっちにいくー」ですからね。

    とまぁ、いろいろ書きましたが、個々の描写は良かったんじゃないのかなと思います。

    主人公たちの使う携帯電話がとてもいい小道具として働いていて、最初はパカパカ携帯だったのが、最後はアイフォーンになっていて、2人の唯一の「つながる」ための道具という事も加わり、時の流れをうまく表現していたと思います。「時間の経過だって表現することが出来る。そう、アイフォーンならね。」
    あと、ヤコブセン、じゃなくて、ジェイコブのそもそも危うかった髪が更に危うくなるのもリアリティありましたね。

    アンナのもとにサイモンがなんか謎の電磁調理器具を返しに来るシーンがあるんですが、そこのヤコブセン、じゃなくて、ジェイコブ目線のカメラアングルは良かったです。
    「なんで、想い合ってる自分たちは(物理的)接触が難しいのに、何の関係もない奴が簡単にこなすんだ」って。

    2人が喧嘩するシーンも良かった。2人が離れがたいほど愛し合ってる、というのには、ほとんどリアリティを感じなかったですけど、喧嘩はとてもリアリティがありましたね。
    「サイモンか!あいつと寝たのか!」ってのサイコーでした。言われてしまったがゆえにそうなるあたり、「予言の自己成就」っていう言葉が頭をよぎりました。

    アンナとヤコブセン、じゃなくて、ジェイコブとの間ではそうでなかったのに対し、主人公たちとそれぞれの現地夫・現地妻との間には、比較的、明示的なセックスシーンがあったのは、「結婚してるのに」と観ている側に想起させる上で、それなりに効果的だったと思います。

    とまぁ、ツッコミどころ、良かったところはこんな感じなのですが、全体的な感想は、「この映画は今、付き合ってる人がいる人向けの映画なんだろうな」です。特に、すでに遠距離恋愛してる人とかかな。
    とりわけ、主人公間の結びつきの強さですが、そういうのをいちいち描写されなくても、今の自分の抱える関係と重ねあわせて「あ〜、分かる分かる」と思えないと、「いい映画だった」とは感じられないのだろうと思います。

    少なくとも私に関して言えば、「自業自得やんw」と冷静かつ理性的にツッコミを入れられるあたり、それほどまでに感情を込められる相手がいないということの証左なのでしょう。まぁ、ぽぽさんの場合、そういう人がいてもやっぱり、その人のこと考えたら、今とおんなじ反応する可能性が高いですけど。
    逆に言えば、「不法滞在で過ごした数ヶ月が彼らにとって一番幸せな時間だったのかな」と考えられなくもないですが、私は生き急ぎてる感があって嫌ですね。

    だから、制作サイド意図はさておき、私は、この映画のエンドはハッピーエンドに見せかけたバッドエンドだと思いました。
    「いろいろあったけど、一緒になれてよかったね」となるには、やはり、最初に戻って、主人公たちがどこにどう惹かれあったのか、という描写が圧倒的に足りないです。

    だって、ヤコブセンよりサイモンの方が絶対いでしょ※

    (※完全にフェリシティ・ジョーンズの側に立ったコメント)









    2013年7月29日月曜日

    歩兵方陣vs(重)騎兵突撃についての引用

    引用元: 『戦闘技術の歴史 4 ナポレオンの時代編 AD1792-AD1815』 p.171
    ([]内は引用者による注)

    カトル・ブラ[の戦い]は、騎兵の強さと弱さの両面をはっきりと示す事例だ。しかし、カトル・ブラ、そしてその後のワーテルローで、フランス胸甲騎兵の襲撃を持ちこたえた強靭なイギリス方陣のイメージは、すべての歩兵大隊は方陣を組むべきで、方陣は騎兵攻撃に耐えられるという誤った印象を与えてしまう。これは、明らかに間違った考え方だ。イギリス連隊がカトル・ブラで組んだ方陣を、当時の標準的な方陣と考えてはいけない。ナポレオン戦争の時のイギリス歩兵は、当時の最強歩兵だった。彼らの指揮と訓練はほかに類を見ないもので、頑強に陣地を守るという彼らの評判が、カトル・ブラでの素晴らしい防御で充分に証明されている。
    実際に、ナポレオン戦争のあいだ、フランス騎兵も同盟国側の騎兵も、歩兵の方陣を崩している。単にある隊形を組むだけでは、騎兵攻撃を撃退することはできない。頑健な精神に並外れた訓練、冷静な勇気がなければ、押し寄せてくる重騎兵の攻撃を前にして、歩兵方陣を断固として持ちこたえることはできない。そして、そのすべてがあっても、部隊が圧倒されることもあった。つまり、イギリス歩兵がカトル・ブラ、そしてその後ワーテルローで成し遂げたことは、とてつもない偉業だったと認識しなければならないのだ。