2012年1月22日日曜日

カルヴァン派予定運命説と勤勉さをゲーム理論で考える(仮)

@mearythindong さんとウェーバーのプロ倫じゃなくて、プロ資じゃなくて、Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismusで述べられているカルヴァン派の予定運命説ががむしゃらに頑張るしかないというのはどういうことかという話になってたんだけど、お風呂でちょっと考えてたら、これって、ゲーム理論じゃねとか思ったんで、Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismusもゲーム理論もかじった程度だけど、書いてみたいと思います。
プレイヤーとしてG(od)とH(uman)があるとして、
Gは
  • a:Hを救済すると運命付ける
  • b:Hを救済しないと運命付ける
の2つが選べる。
Hは
  • 1:がんばる
  • 2:がんばらない
の2つが選べるとする。
この時、2x2=4(通り)のパターンが存在する。
その上で以下のようにゲームのルールを設定する
  • GとHの状態で以下のように点数が設定される(表にすりゃいいんだろうけど、めんどい。)
    • G(a)かつH1のとき、Hは救済される方向に進む→+1
    • G(a)かつH2のとき、Hは自ら救済の道を絶ったので救済される方向からそれる→-1
    • G(b)かつH1のとき、Hが頑張れたのは別に神の恩寵なんて関係なかったんや→どのみちダメなんだし、-5
    • G(b)かつH2のとき、Hはどうしようもない→-5
      • ぶっちゃけ、マイナスの点数は適当につけたので訂正が必要かもしれない。
  • Gの決定はHの決定より先に行われ、Hから秘匿される
このとき、Gの状態に関係なく、H1=「Hが頑張る」がナッシュ均衡最適な選択になるんじゃないかと思うんですね。
GがHを救済しないって分かってたら、がんばってもがんばらなくても一緒じゃんってことになるけど、もしかしたらGは救済するって決定をしてるかもしれない。
じゃあ、Hとしては頑張るしかないんじゃん?的な。
どうでしょう。

【追記】
Gがaを選ぼうとbを選ぼうと、コストもベネフィットもゼロとするなら、H1はナッシュ均衡になりそうです。(下記、まとめ中の当該ツイート参照)

Twitterでのやりとりの記録(時系列のはず)
https://twitter.com/#!/mearythindong/status/160939128924553217
https://twitter.com/#!/_popopopoon_/status/160939608467705856
https://twitter.com/#!/mearythindong/status/160939729670504448
https://twitter.com/#!/_popopopoon_/status/160940265174081536
https://twitter.com/#!/mearythindong/status/160940486612357120

付随するツイートのtogetter上でのまとめ(@khuludさんにも編集に参加いただけました)
http://togetter.com/li/245978
【まとめたので、うえのリンクは削除】

2012年1月21日土曜日

『戦略の不条理』

レポートに使おうと思い本を借りに行ったら、批判的に読めて面白そうだったので『戦略の不条理』という本を手に取ることになった。(目的の本もちゃんと借りたよ)

本書のオリジナリティは、物質主義的なクラウゼヴィッツとその『戦争論』から、心理に重きをおいたリデルハートとその「間接アプローチ」を経て、新たにポパーを援用することで「知性的世界」という軸を戦略研究に導入することである。
要すれば、物理的世界(クラウゼヴィッツ)、心理的世界(リデルハート)に加え「知性的世界」を以て、3次元的に戦略を分析しようということだろう。筆者はこれを「キュービック・グランド・ストラテジー」と呼んでいる。
端的に言って、ここでいう「知性的世界」がいかなるものかというのはあまりよくわからなかった。ポパーの本は読んだことはないので、評価のしようがないのだが、その哲学を軍事戦略に援用する際に失敗しているという印象である。
そもそも、知性が軍事戦略において重要な位置を占めているというのは当然ではなかろうか。知性なくして戦争を戦おうと考えたものなどいるのだろうか?ここで引用されている、『孫子』にせよ、クラウゼヴィッツにせよ、リデルハートにせよ、彼らをして著作を書かしめたのは知性以外の何ものでもないはずだ。わざわざ、「知性的世界」を軸として取り出す理由が感じられなかったし、筆者の言う「知性的世界」は「世界観(Weltanschaunung)」や心理的世界、その他、既存の概念に取り込めるような気がした。
軍事戦略の1つの軸としての「知性的世界」で成功を収めた例としてロンメルがまず挙げられているが、ここで述べられているカメラを用いたイメージ戦略、小さい勝ちを重ねることによる彼我へのドイツ軍の強さのアピール、そして敵味方隔てない騎士道精神はそれとして解決していいのだろうか。そして、これを以て、ロンメルを「知性的世界への新しい間接アプローチ」の担い手とするのは先の理由より甚だ疑問である。少なくとも、M.V.クレフェルトの『補給戦』を読めば、北アフリカでのロンメルは補給の限界を無視して軍事的成果を求めて前進する(北アフリカのドイツ軍への補給のボトルネックは北アフリカでの後方連絡線の長さであったというのが結論)という、少なくとも補給に関しては洞察や知性を欠いていると評価せざるを得ない。
「知性的世界」で成功し、戦争に勝利した例が描かれていないのが、この本にあまり説得力をもたらしていない原因の1つであるように思う。「ロンメルは譲って、「知性的世界」で成功したとしましょう。で、北アフリカ戦線で勝利を収めたんですか?」となる。
ハンニバル、ナポレオン、孫子の戦略・思想が論じられている。
ハンニバルの例をとってみるならば、物理的・心理的世界に成功しながら、知性的世界に失敗したために、それに成功したローマに最終的には敗れるということになる。だが、最終的にローマが勝利したのは、物理的・心理的基礎体力と「粘り強さ」にあるとみるのが適切である(アルヴィン・H・バーンスタイン「戦士国家の戦略」『戦略の形成』)。ローマには数多くの将軍と無数の兵士がいるが、ハンニバルは1人でその軍はローマの人的資源に比べると貧弱なものだったのだ。
ナポレオンについても、ロシア遠征での失敗は「物理的世界を対象とする力による攻撃」に頼ったゆえに、ロシア軍の焦土作戦によって補給が苦しくなり坂を転げ落ちるように没落への道をたどったとなる。だが、またもや、M.V.クレフェルトによれば、ナポレオンはロシアでの補給の困難さについては予め理解し、対策を施していたという。結局、ロシア遠征(の少なくとも補給)が失敗したのは、馬匹による輸送という前近代的な輸送技術の問題ということになる。
『孫子』については、端的に言えば筆者は「これこそが、キュービック・グランド・ストラテジーだ」と主張している。これについては、「机上の空論でしかない」という反論が有効である。孫武が軍を指揮し、どういう成果を収めたかについては不明である。また、「戦いを徹底的に避けて勝利を収めること」を良しとする『孫子』の考えと「文化的に優位な文明が、文化的に下位の蛮族を従え、統治する」という儒教的な考えが合わさったとき、対北方民族の統治、さらには国家安全保障について悲劇的な結末をもたらすということはアーサー・ウォルドロンがこれまた、『戦略の形成』内で「14世紀から17世紀にかけての中国の戦略」で詳述しているところである。

終始一貫して思うのは、繰り返しになるが、既存の戦略研究がすでに知性に立脚しているということである。そして、ポパーからの援用である「知性的世界」は既存の分析概念で十分に対応可能であると思う。

また、本書における経営分野での話というのは軍事分野でのそれとは違って、比較的納得の行くものであった。それだけに、軍事分野の話の引っ掛かりというか納得の出来なさが目立ったように感じる。「キュービック・グランド・ストラテジー」にもあまり納得は行かなかったが、軍事思想に重きを置く考えは私はどうやら満足しないようだ。
私が一読する限り、「軍事戦略と経営戦略の大きく深い溝を埋める」という筆者の目論見は残念ながら成功を納めていないように思う。

以上が、今の私の思うところである。何か思いつけば、追記したいと思うし、間違っていると思えば、訂正もしたいと思う。

【追記】(同日)
書こうと思って忘れてたこと。結局、「戦略の不条理」を解消するためには、批判的にモノを見ようねっていう在り来りなこととだったのもなんだかな、という感じだった。



2012年1月5日木曜日

salary

逸見喜一郎、『ラテン語のはなし 通読できるラテン語文法』、2000年

英語のsalaryの語源はラテン語のsalariumである。salariumという単語がsal<塩>という単語の派生語であることは、形態上、確実である。しかしだからといって「古代ローマでは兵士に給与として塩が与えられた」といったたぐいの、時に新聞などでお目にかかる訳知り顔の説明は困ったことである。
salriumの意味は、残された古典ラテン語の用例から判断する限り、「文官・武官を問わず、ある程度の地位を得ている(したがって兵卒ではない)者に対して、定期的に支払われる金銭」である。なぜその金銭が「塩」に由来する名称を得たのかは、もはや文献的・歴史的に確定できない。実際に兵卒に塩が配れた事例を、私は読んだことがない。
もちろんsalariumの語源が「塩」にあることは否定しようがないから、文献が残る以前の昔に、塩の現物支給があったかもしれないが、しかし想像はあくまで想像でしかない。むしろそうではなくて、「塩代」とでも婉曲に言ったのかもしれないのである。いずれにせよ文献上、「給料」をもらえたのは兵卒なんかではない。語源は歴史的事実を必ずしも明らかにはしない、と肝に銘じておいたほうが良い。