2011年10月16日日曜日

Ubuntu 11.10 私的メモ:3

11.04まで使っていた、Evolutionを11.10でも使わんとして、嬉々と入れたわけですが、新着メールが通知されない…
はっ、そういや、デフォルトのメーラーがThunderbirdに変わったんだった!
ってことで、Evolutionを11.04までみたく使いたい場合は、
sudo apt-get install evolution
のみならず
sudo apt-get install evolution-indicator
が必要です。
Thunderbirdに乗り換えてもいいんですけど、あまりいい評判を聞かないような気が…

Ubuntu 11.10 私的メモ:2

トラフィック見てると、"ubuntu 11.10 broadcom STA wireless"でこのブログにおいでの方がいらっしゃるようですが、普通に、
sudo apt-get install bcmwl-kernel-source
ってすれば、難しいことしなくても、Broadcomで配ってるSTA Wirelessドライバが入りますよーと。
Ubuntuのレポジトリに入ってるドライバは公式で配ってるのとバージョンは一緒でしたし(11.10.16現在)。
手動でDKMSに対応を…とかもいらないです。
未確認ですが、インストール時に、サードパーティー製アプリをうんたらにチェックをいれて、有線LANしておけば、その段階で入るっぽい。

2011年10月14日金曜日

Ubuntu 11.10 私的メモ:1

1だけで終わるかもしれないけど…

1)最近使用したファイルを無効化する。
sudo apt-get remove unity-lens-files
11.04の当該のパッケージ名はunity-place-filesだったけど、変更になりました。

2)システムフォントの変更。
11.10からGNOME3になったので、見た目はUnityでも、ちょいちょい、GNOME3になってた。で、ウィンドウとか画面のフォントをいじる部分が標準では無くなってて、その対応策。
sudo apt-get install gnome-tweak-tool
Unityから"gnome-tweak-tool"と入力すれば、「高度な設定」と出てくるので、後は見たとおり。

2011年10月2日日曜日

亜子さんに「ぽぽちゃん想像図」を描いていただく

ひょんなことから、亜子さん(@aco_st6very)に「ぽぽちゃん想像図」なるものを描いていただけることに。スペック指定OKとのことでしたが、よく分からないので可愛くお願いしますとだけ申し上げました。
で、できたのが……こちら……
http://twitter.com/#!/aco_st6very/status/120174144036933632/photo/1
想像図すぎるwww
で、早速、アイコンにしたのです。

しばらくこれで行きます。

2011年9月30日金曜日

「ペロポンネソス戦争におけるアテネの戦略」(『戦略の形成』所収)

たぶん3回目。現状での理解ないしは、印象深かった点をまとめておく。
  • ペリクレスがスパルタとの戦争を望んだのは、スパルタがアテネの覇権を「しぶしぶ」認めている状況から、明示的に勢力圏を分割する方向性に持っていくため。
  • そのため、ペリクレスはわざとスパルタの主戦派を炊きつけ、防御的な戦略を展開し、「拳を挙げてもアテネはたじろがない」とスパルタに観念させることを企図した。
  • 外港ピレウスとアテネ市が長城でつながれており、攻城技術が未発達のギリシャ世界では、これらの城は攻略困難であった。従って、制海権を握っている限り、また、財政が破綻しない限り、アテネは穀物を輸入することで籠城を維持することができた。
  • アテネはデロス同盟を軸に帝国を創り上げており、財政基盤は開戦当初は磐石であった。
  • だが、ペリクレスの想定したとおり、スパルタは合理的な判断を下さなかったし下せなかった。
  • 戦争は当初の想定を上回る期間に延び、また、想定外の戦略活動が必要とされたため、想定よりも早く、アテネ財政は底を突きはじめた。このことから、ペリクレスの戦略は失敗の運命にあったと言える。
  • ペリクレス亡き以降も数年はその防御戦略が維持されたが、大局に影響はなく 、アテネ市民の一部では、戦略に変化を求める動きが出る。
  • アテネ内部での足の引っ張り合いが半端ない。1つの戦略に集中して取り組むことができたのはやはりペリクレスただ1人であった。
  • アルキビアデスの戦略眼はすごい。(WWIでトリポリ上陸作戦を企図したチャーチルの原則を援用して、彼の戦略を検討している点に注目。筆者はトリポリ上陸作戦の失敗について、戦略上の過誤ではなく、実施上の不手際に原因を帰している点から、チャーチルの原則はかなりの妥当性を持っていると考えている。ジュリアン・コーベットのイギリスの戦い方とよく似ている。)
  • シラクサ遠征は民主制の難しさを示している。非戦派のニキアスは、本心では反対の遠征に必要な人員を過大に民会にふっかけることで、遠征自体への反対を期待したが、スパルタへの不信感・敵愾心に満ち溢れる民会は、決定的勝利を追求してこれを許可してした。また、増援を要求するに際しても、同じことを意図したが、これもまた同じ結果に終わり、最終的にシラクサ遠征は不必要かつ喪失すれば国家存亡に関わるほどにまで大軍となってしまった。当のアルキビアデスは反対派により失脚させられてしまっていた。
  • 大軍の喪失・艦隊への大打撃・都市内の派閥争い・帝国内の反乱と災厄に見まわれつつも、アテネはスパルタとの対抗を維持する。しかし、ペルシャの財政支援を受けたスパルタは海上からアテネを締め付けることを企図し、これに成功する。(筆者は記していないが、アメリカの対日戦争計画・オレンジプランとよく似ている気がする。)
  • ペロポネソス戦争は典型的なランドパワーとシーパワーの激突であり、両者は各々得意とする戦い方(戦場)を以て勝利を目指したが失敗に終わる。一方が他者に勝利するためには、スパルタがそうしたように、相手の土俵で決定的勝利を得る必要があった。
  • ペリクレスの戦略が成功する可能性は、アテネがペロポネソス同盟諸国の痛点に攻撃を加える能力を維持している場合にのみ見いだせるものであった。
  • アテネの成功体験が損害を覚悟の上で陸上でスパルタを撃破するという方向へ自らを導くことを拒んだ。アテネはあまりにもローコスト・ローリスクで勝利を得ることに慣れすぎていた。
  • ペリクレスが疫病で倒れずもっと長く生きていたなら、その防御戦略に代わる適合的な戦略を見付け出していた可能性が高い。アテネをまとめ、一貫して戦略を実行することができたのはペリクレスただ一人であった。 

2011年9月27日火曜日

ズームイン朝のMCとジョッフル

ズームイン朝のMCは降板すると、フリーになる(退社する)。
一方、第一次世界大戦のフランス軍ではフランス陸軍最高司令官のジョッフルが元帥に昇格して、事実上更迭される。
なんとなく、似てるなぁ。

Wikipedia: ドライゼ銃

この新兵器は1848年からプロイセン軍で徐々に配備が始まり、1849年にドレスデンで発生した5月暴動の市街戦において初めてプロイセン軍によって実戦使用されたが、1848年のベルリン暴動で武器庫から多数が盗難されてしまったため、その機密が維持されていた時期は短かった。
プロイセンの台頭と共に、プロイセンと同盟した他のドイツ各州にも普及していったが、保守的だった多くの欧州諸国の陸軍は、ドライゼ銃の紙製薬莢にも後装式の優位性にほとんど理解を示さず、1860年代にプロシアが対外膨張へ転じるまでの長い期間、ドライゼ銃は過小評価され続けていた。
ナポレオン戦争以後、第一次世界大戦以前の軍の保守性というのはいろいろ耳にする(機関銃による濃密な火網の過小評価、決戦兵科としての騎兵の重視、その他もろもろ)ところであるが、この保守性とは他の時代と一線を画するものなのだろうか?
つまりは、この保守性は「他の時代と比べて」保守的である結果のか、そもそも、軍の保守的な「時代を越えた」ありかたが「世間一般に暴露される」ことになった結果のものなのかという疑問である。
前者については、
  • ナポレオンの登場のインパクト(そしてまた、それに対して勝利したという成功体験のインパクト)が強すぎた
後者については、
  • 軍というのが階級を持つものであり、概して年功序列であり、技術・方法論で大変革があると困る上の人が多いのはいつの時代も同じ
  • ナポレオン戦争以後の国民意識の高まり、新聞などの情報伝達手段の発達から、(よく知らないが、従軍記者などによって)軍にも透明性が生じつつあった 
というのをそれぞれパッと思いついた。また思いついたらちまちまと書こうかな。